紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

作業日誌:他の誰かに届いてしまう

 昨日の続き

 ディスプレイを介してテキストを投げ合う間柄においては相手が(実際に)なにものであるかというのは全く問題にならない。そして「つぶやく」ということはその相手すら必要でないと言える。じっさいに私はインターネットで何かを書く際に誰かに宛てて、というよりはだれにも宛てず、強いて言うなら過去の自分に向けて書いている。結果的にはそれを見るのは未来の自分なのだけれど、文章を読むであろう相手の想定は過去の自分である。今の自分よりも幼い自分が、自分によく似た人間ですでに先を生きている者の考えることを人生のヒントにするように。しかしじっさいには過去の自分は今私が書いている文章を読むことはない(ように思えるが、私は少し怪しんでいる)ことから、私は虚空や無に向けて何かを書いていると表現してもいいだろう。無に向けて書いた文章に対して誰かが反応したとしても、反応したということが肝要であってその相手がだれでどんな人間なのかというのは関係がない(過去の自分でない限り)。しかしその時点で、その相手は過去の自分のようなものだと私は思っているように思う。たぶんシンパシー。

 それをするのは昔の自分のため、だけど昔の自分はもういないので他の誰かに届いてしまう。

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作業日誌:小学生と接する

 昨日の続き。

 とにかく私は今昼の仕事をしていて、昼の仕事では子どもたちと接している。だいたい小学生くらいの年代である。で、そういえば以前私はTwitterで(自称)小学生の人とやりとりをしていたことを思い出したんだけど、私は今仕事で接する彼らを「小学生だな」とか「小学生ってこんな感じなんだな」とか思いながら接してるんだけど、以前Twitterで接していた(というかやりとりしていた)人に対しては「小学生だな」とか「小学生ってこんな感じなんだな」とは思ったことがなかった。というか、今実際に仕事上接している小学生と当時小学生だったその人との接し方が全く違うということに気づいた。

 というのは相手が小学生だろうがいい年した大人であろうがディスプレイを介して乾いたテキストを投げ合って何かを伝え合うという行為において相手のパーソナリティみたいなものはとくに必要がない。たぶん性別や年齢を嘘ついててもいいし人間でなくてもいい。あるテキストに対してあるテキストが返ってきてそれによって自分の脳がキュルキュルと回ってさらに何かを考えるという楽しさがあれば相手の素性てのはどーでもいいわけだ。だから私は何かを言う時に「これは小学生にはわかるかな/わからないだろう」とか全く考えなかった。で、実際、それによって発せられる私の発言に、相手の人はまじめに応えてくれていたと思う。

 翻って今実際にナマの小学生たちと接していると、コイツらにtwitterで書いてるようなこと(過去に小学生を自称する相手にtwで言ってたこと)を伝える気には全くならない…というか、伝えることはありうるかもしれないけど、twitterで交わすような言葉遣いではしない。やっぱ別物だなと思ったわけで、で、これが、なんでだろうか?と不思議なわけです。これが本題。

 だって理屈で考えるとtwでやりとりしていた相手がマジで小学生だったなら(マジだと思う)、どこかの小学生とはtwでしてたようなやりとりができるはずでありそれが目の前の小学生でも何らの問題もないし確率的に低いというわけでもないはずである。でも実際の目の前の小学生を前にすると、こりゃ無理だろという気がする。とても不思議だ。

 不思議だけどもう寝る時間なのでまた明日…
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作業日誌:「つぶやく」ということから始めて行けるとこまで

 「つぶやく」ということについて思いついたことを書きたい。ところで私の今の仕事は…と書いてから「仕事」のことをなんと呼ぶか迷ってしまった。候補は
1)仕事
2)バイト
3)昼の仕事
4)労働
などである。というのは「仕事」とは呼びたくないからであって、なぜかというとそれは「仕事」という単語を自分の一番大事な活動のためにとっておきたいからである。それは創作、ものつくりであって、それをしているのは主に夜、なのでそれ以外の生活のための仕事を指して「3)昼の仕事」という候補が出てくるのだがこれは「昼の」の分だけ長いしその仕事は朝から夕方にも及んだりする。「2)バイト」が言いやすくていいのだけれどこれは現代日本では雇用状態をも表す単語なので正確でないことがある。確か原語はドイツ語でアルバイトは単純に労働と訳されていたはずだ。これはしっくりくる。となると「4)労働」が適しているかというと「労働をしていた」というのはなんとなく座りが悪い。ので難しい。「3)昼の仕事」が暗に「夜の〜」を含んでいるのでそれでいいのだろうか。でも長いな。

 ともあれ今の昼の仕事は、子どもたちと接する仕事をしている。子どもというのはだいたい6歳くらいから12、3歳くらいまでなのでおよそ小学生たちを相手にしていると言える。

 とここまで書いたらもう寝る時間なので続きはまた明日…

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