第3号:クリスマスに思ったこと - 2015.12.25
冬は寒い
さみしい という言葉は、寒くみえるという意味の さむしい という言葉から来ていると古来トルコより伝えられているとおり、寒い冬は寂しいものですね。みなさんいかがお過ごしでしょうか?僕は元気にしています。
さてこの記事は、以前Ustreamでおしゃべりしていたラジオ放送を一人でテキストのかたちでやってみようという試みです。
まずはBGMにこれを
Booker T & the MG's Jingle Bells
サンタクロースは本当にいるの?
月日が経つのは早いものでいつの間にか「サンタクロースは本当にいるの?」という問いを発する側から答える側になってしまいましたが、さてこの難問にどう答えるかには頭を悩ませました。この問題に答えるのが難しいのは、答えを受け取る側に依っていくぶん答え方を変えなければならず、万人に共通した答えというものがあり得ない種類の問いだからだと思います。
しかしどんな相手にでも、その答えによって彼(もしくは彼女)のその後の考えや視野を限定せず、その答えを得てなお自身によって考えを進めることができるような「最低限のスタートラインに立つような答え」というものはある筈だと私は考えました。うまくいってるのかわかりませんがとりあえず以下にそれを記します。
トルコの聖ニクラウスさん
個人は死んでも志は死なない、受け継がれてゆく。というテーマはいろんな物語や映画やゲーム、マンガなどにも見受けられますが、僕はこれの最もポピュラーな例がサンタクロースなのだと思います。
僕はサンタクロースというものを小さな頃に本で知りました。その本には、サンタクロースは三世紀頃にトルコで暮らした聖ニクラウスという人物が由来であると書いてありました。そう、サンタクロースは実在した(過去に)!セイント・ニクラウスが後々サンタクロースになまっていったというわけなんですね。
というわけで、私の持論は小さな頃に読んだ、その本に書かれたちょっとした一節によってできています。ニクラウスさんは近所の人々や子どもたちに施しを行った聖人とも伝えられていますし、彼の行いについては諸説あるようですが、気になる場合はみなさんで好きに調べてみてください。*1
僕が小さな頃に本で読んだバージョンはとても簡単なもので
「子どものことが大好きなニクラウスさんは、子どものいるお家の前にないしょでプレゼントを置いて回りました」
というものでした。そして生前の彼の行いから、彼の亡き後も人々が彼の意志(行為)を引き継ぎ、徐々にその人数が増え、いまや二千年ちかくの時と土地、宗教や個人の考えを超えて様々な場所で行われる行事となった(プレゼントをあげたりとか)と想像します。なのでモデルとなった初代・サンタクロースさんはもうすでに死んでしまっていないけれども、彼がもし生きていればしたであろうことを(代わりに)行っている人々が今も世界中にいると、そういう図式である。という理解を私はしているわけですね。
受け継がれる意志
映画やマンガなどで「彼(彼女)は死んでしまったが、我々の中に生き続けている」というような台詞や概念の実例は、このクリスマスのサンタクロースという存在(概念)が実証している、まさに好例だと私は思います。もちろん聖ニクラウスさんのことを知りつつ誰かになにがしかのプレゼントや行いをする人はそれほど多くないでしょう。しかし後代にまで受け継がれていく意志や影響といったもののなかには、受け継いでいるその者にとっては意識すらしないような、ささやかで慎ましいものであることもある。みんなの中に自然と誰かの一部がある。そーいう押しつけのない優しさのようなものに私はグッと来るわけですね。*2
というわけで
いまやサンタクロースのように振る舞う人がすでにサンタクロースなのである。まるで仏陀みたいですね。お父さんやお母さんはサンタさんの代理なんだと。そしてそう考えると、聖ニクラウスさんが実在したのかどうか、実際はどんな人であったのかというのもどうでもよく、サンタクロースの代わりをつとめようとする人たちが現代もいる、というだけで実在としては十分であると思います。よって冒頭の問い「サンタクロースは実在するの?」という問いを発する相手が、ほんとうは何を知りたがっているのかを見極めることによって(空飛ぶトナカイの引くそりが見えるのかとか)その答え方は変わってきますが、基本となる認識は以上のものでよいだろうと私は思います。あとはその状況のことをどう呼ぶか、どう捉えるかの問題でしかありません。私の言いたいことは以上です!
ハッピークリスマス!
あなたが幸せな一日を過ごせますように。
世界中の子供が「サンタさんはちゃんといるよ」と信じられるように努力している大人がたくさんいるってことがサンタさんの実存よりも重要だし、そういうことしてるんだから逆説的にサンタさんはいると思う。神棚とか神社とか大まじめで作るから神様がいるのとおんなじで。ともあれ、メリークリスマス。
— S̸ąΐǤσợƑꐕ (@saigoofy) 2008, 12月 24
今週の一曲
冒頭ですでに一曲紹介しているのですが、ともあれ今回紹介する曲…というかグループはペンギン・カフェ・オーケストラです。
ペンギン・カフェ・オーケストラ
ひとまず有名なこの曲を聴いてみてください。
The Penguin Cafe Orchestra - Music For A Found Harmonium
おそらくどこかの機会に聞いたことのある曲なのではないかと思います。どうですか?いい曲ですよね。この有名な曲を作った(ほかにもあるけど)ペンギン・カフェ・オーケストラについてAmazonのレビューより引用します。(おそらくこれは当時のなんらかのプレス記事の引用だと思いますが、確証はありません)
1972年、南仏に滞在中、腐った魚を食べて食中毒になったサイモン・ジェフスは、ホテルのベッドで寝ているときにひと続きの不思議な幻像を見た。翌日、回復した彼の頭の中に Penguin Cafe のオーナーという人物が突然現れた。彼はサイモンにこう語りかけた。「人生におけるランダムな要素を大切にしよう。そうすれば創造性が失われずにすむ。 Penguin Cafe はそんな場所なんだ」 Penguin Cafe で演奏されるような音楽。これがサイモンが後に結成する Penguin Cafe Orchestra の基本コンセプトとなる。
「カフェでかかるような音楽」というコンセプトの音楽の、かなり異質な原初的なものであると言えるのではないかと思います。*3
これ以降(以前にも?)世界中でカフェミュージックと呼ばれるものが作られるのですが、その原初的なものがじつは「架空の、ユーモラスで不可思議なペンギンの居るカフェで鳴っている音楽」という突拍子もない発想から始まり、そしてそれがこんなに誰にでも懐かしいものだということに驚きますね。
それにあらためて「人生におけるランダムな要素を大切にしよう。そうすれば創造性が失われずにすむ」いい言葉ですね。最高だ!
君の好きなだれかさんが去っていく音がするけど、それはべつにたいしたことじゃないんだ
で、今日紹介する曲はですね(もう二曲も紹介したけど)
「The sound of someone you love who's going away and it doesn't matter」
という曲です。
「君の好きなだれかさんが去っていく音がするけど、それはべつにたいしたことじゃないんだ」
という語意ですね。慰めの言葉のようにも、達観した超越者の言葉にもとれるこの曲の意味は如何様にも考えることができます。*4
そしてこの曲がとても優しい。この曲を作った(うちのひとり)サイモンは1997年に脳腫瘍で亡くなりました。こんなに優しい曲をかつて作った人も死んでしまった…というのはとても寂しいことのように思いますが、それもべつにたいしたことじゃないのかもしれない。
人が死んでしまう、いなくなってしまうということは、どういうことなんでしょうか?(この曲のように)たいしたことじゃないといえるのでしょうか?もしいえるとすれば、なぜそういえるのでしょうか?とても含みのあるタイトルですね。それでは聴いてみてください。12分もあるんだけど。
Penguin Cafe Orchestra - The sound of someone you love who's going away and it doesn't matter
終わりに
聖ニクラウスさんもサイモン・ジェフスさんも、すでにもう死んでしまった人です。しかし私は両者から、そしてそれと知らずとも多くの人々から何かを受け継いでいるのだと思います。そして私も、誰かに何かを伝えることができたら(たとえその影響を誰も自覚していなくても)自分がいなくなってしまってもたいしたことじゃないんだと言えるのではないかと思います。大事な人がいなくなることはたいしたことじゃないんだ、というのは冷たいようにも聞こえますが、なぜか私には(上記の曲のように)優しく響きますね。
感想
以前ラジオを放送していた時は長く放送しても三時間だったのですが(死ぬほど長く感じた)今日テキストでやってみたらこれだけの文章を書くのに六時間以上かかった。やはりラジオは話すに限る。
*1:同時代に生きている人の行いでもいったい何が本当で何が嘘なのか正確には知り得ない以上、どれが事実でどれが嘘とされていても別にかまいません。
*2:もちろん優しさのかわりに邪悪さがそっと入り込んでいる場合もあるでしょうが、まあそれはおいといて。
*3:もちろんこのバンドが結成される以前から、カフェやバーのような人々の集まる場では太古の昔から音楽が演奏され、その場に適した曲が作られてきたことは確かでしょう。ここでいうコンセプトは一つの音楽作品として再生されるものを作り出すためのコンセプトという意味です。
*4:もしかしたらなんらかのイディオムか、引用の意が含まれているのかもしれない。私は知らない