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紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

第17回:一体感って一体何?

おリス通信

はじめに

 八月三日に放送された石野卓球DOMMUNEでの四時間DJを聴いていたんだけど、現場もTwitterのタイムラインもたいそう盛り上がっていた。そこには一体感(としか言えないもの)が感じられたのと、それと同時にすばらしいものを体験しているような幸福感があった。*1

 で、次の日になって「一体感ってなんだ?」と考えていたのでそれについて書きますね

一体感とは

 一体感という言葉には快楽の体験を含んでいる。その快楽の種類は情報のやりとりや一致、要するにコミュニケーションの成功(誤解でもある)によるものである。一晩同じDJを聞いてピークを迎えたそのとき、隣に立っている人間と自分は同じ感覚を共有しているという実感(誤解)。これは「情報を共有する」という快楽で、音楽だけでなく様々な瞬間に顕われる。100m走でゼロコンマの時間を競った相手との時間の共有や、皆既日食の瞬間を共に過ごす体験、同じ映画を見る事や同じ本を読むことなども同じ「情報を共有する」という快楽だと言える。もう一ついえば相手になにかを説明して相手になにかを伝えること、端的に言うと「教育」も快楽の一種であると言える。
 そういったコミュニケーションの快楽というのは「情報のやりとり」や「情報を共有できた」という地点に着いて(実感して)から感じるもので、一体感は後者にあたる。一体感とは情報を共有したという実感によって引き起こされる。

 他人に「情報を的確に伝えること」そのものに快楽がある場合(経験的にはあると思う)そのもっとも純粋な形はなにか?と考えると、子どもを作ることとなる(子どもを育てることではない。後述する)。親から子どもへはどうしようもないくらい純粋な情報が伝わってしまう。これを超える純度の高い情報の伝わりはない。もしあると思われる方は教えて欲しい。

 「子どもを育てる」際の情報の伝わり、それは自分を含むすべての他者からの教育と言い換えてもいいと思うんだけど、これによる情報の伝達は(数学とかピアノの弾き方とか言語とかロケットの原理とか女の子の口説き方とか)生殖による情報の伝達よりも正確ではなく、強度も弱い。一代で消えてしまう可能性のあるものばかりだ。たとえばモーツァルトやバッハの末裔が今も世界の第一線で音楽をやっているのか私は知らないし、ミケランジェロやレオナルドの末裔が今も天才やってるのかわからない(不勉強ですいません)。少なくともモーツァルトやバッハ、ミケランジェロやレオナルドほど有名でないという時点で後天的な情報(他人からの教育によって伸ばされた技術など)の伝達は完全なものではないのではないかと思われる。
 でも顔は似てると思う(織田信成くんすごいよね)。親子って似る部分はどうやっても似る。たとえ産まれてすぐに引き離されても似る。顔とか、身体の骨格だとか、なんか貧乏ゆすりするクセとか、異性に対する好みとか、そーいう本人にもどうしようもない部分はばっちりコピーされてその血筋に脈々と受け継がれている。

 ちなみに去年あたりに(追記:2014年でした)、一度なにかを危険なものだと学習したマウスの子のマウスにも(その体験をする以前から)そのなにかを危険と感じる反応が認められたといった実験結果が出たという論文があった。うろ覚えですが。

※(追記)検索したら関連する紹介記事ありました。参照。

alchemist-jp.at.webry.info

www.sotokoto.net

上記の例は親の「経験」「学習」というものが次世代に引き継がれる可能性を示唆していますね。

まとめ

 ということで後天的に他者と共有する情報よりも先天的に親から受け継ぐ情報の方が圧倒的に(正確に伝わるという意味で)強いと言え、さらに「情報を共有する快楽」のもっとも純粋な形式は子どもを作ることであるとも言える。他人と感じる一体感とかなぜか気が合うとかツーカーの仲だとか阿吽の呼吸とか尊敬する教師から大切なことを教わることとかっていうのは、それが他人となぜか起こるのは奇跡的で気持ちいいことなのかもしれないけど、子どもに自分の情報がほとんどごっそり自動的にコピーされるという構造的な快楽にはかなわない。

 「情報を伝える(共有する)」という快楽は、子どもが出来た時点でもっとも至高の体験が(じつは)達成されている、というのはとてもおもしろいことだと思います。

今週の一曲

www.youtube.com
 冒頭で述べた石野卓球DOMMUNEでの4時間DJは、石野卓球自身の関わった作品のみの選曲という(実際に現場でDJして稼いでいるプロのひとには)珍しいコンセプトでした。バンドのライブとかだと全曲自分の作った曲っていうのは珍しくないかもしれませんが、プロのDJでこれは珍しい。本人の曲があまり聴けなくて、たまに流れると盛り上がるっていう感じです。不思議ですね。で、その日にかかったこの曲、エレファントカシマシ浮雲男の石野卓球リミックスです。こんな仕事してたんですね。知らなかった。

蛇足

 子どもを作ること(情報の伝達/共有)に対して、子どもを育てることはまた別の快楽なのかもしれない。そこは「あたらしい情報を得る快楽」に関係してるんじゃないかとか思う。というのは、伝達/共有はすでに済んでいるし、その時点からではもっとも自分に近い他者として、子どもから自分がどんな情報を受け取るかという知的好奇心に変わるのではないだろうか。それに興味がないと育てるのも厭になってしまうのかもしれないけどよくわからないですね。

 というわけで今週は以上です。

*1:このような実感はうまく言語化出来ませんが、いいDJを聴くとこの何ともいえない感覚はわかってもらえると思います。みんなブログなんて読んでないでクラブへ行きましょう!