紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

雑記:アインシュタインの言葉…だったっけ

 以前Twitter

twitter.com
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 という文章を書いたんだけど、このユダヤ人学生というのはアインシュタインだった。というのもアインシュタインの本だか論文だか、物理の本だかなんだかでこの言葉を発見し「あ、アレってアインシュタインの言葉だったんだな」と思った…記憶はあるんだが、実はその出典元を忘れてしまったのである。
 ということはもちろん本当にアインシュタインの言葉だったのかというのもあやふやである。そうだった気はするんだけど、確認ができない。そのうち(これを書いている今なのだが)その記憶も何やら怪しくなってくる。「どこに書いてあったのかは忘れたけど、アインシュタインの言葉だということは確実なのだ」とも言え…ない…
 要するに新たな説を掴んでもその出典元の情報がなければけっきょく曖昧なままで自分の記憶にも定着しないということですね。

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 ところでこれもTwitterなんだけど、このような書き込みを見た。

 雑に要約すると、おむつ愛好家というのかおむつに性的嗜好があり(という日本語でいいのか)ベビーシッターや保育士見習い(資格はまだ取得していないらしい)の仕事をしているアカウントを発見したので注意喚起しているということらしい。そのおむつ好きアカウントは赤ちゃんがおむつをしている写真を集めているらしく、他の人々と交換を持ちかけたりしているらしい。

 けっこういろんな要素があって、暫く考えてしまった。ざっと思いつく論点は

1)現時点で何が問題なのか
2)「おむつが好き」という人間がどのような害悪を他人に及ぼすといえるのか
3)性的嗜好によって職業選択の自由が制限されたり、他人がその職業に就く妨害をしていいのか
4)インターネット上の一つのアカウントを糾弾して実生活によい影響があるのだろうか

 2、3、4についてはこのおむつ好きアカウントについてだけでなく一般論として考えることである。

 1)は勝手に利用者の赤ちゃんの写真(おむつであろうとなかろうと)を撮ったり、交換しているのが問題になるのではないだろうか。プライバシーの侵害じゃないのか。
 2)からいきなり難しくなる。これはおむつ好きにもいろいろいて、実際にはわからないというのが実際のところだろう。人には様々な性的嗜好がある(と思う)けれど、それと普段の生活態度や仕事意識はまた別だ。
 3)は他人には介入する権利はない。水着姿に興奮する人物はライフセーバーやプールの監視員になってはいけないだとかスーツ姿に興奮する人物はスーツを着用する会社に勤めてはいけないとは言えないだろう。その嗜好を本人が明言すると周りの人間から敬遠されることはあるかもしれないが「どのような人物がこの職業についてはいけないか」は定めることはできない。
 4)は注意喚起という言葉があったので思ったのだが、このおむつ好きのアカウントは匿名である。どこの誰かはわからない。その後アカウントを消したらしい。では、この一連の動きは何のためになるのだろうか?そのアカウントが消えて何かポジティブな影響があるのだろうか?どんな注意喚起ができたのだろうか?

 もし自分の子どもを他人に預けるとすると、その人間は信用出来るのかという判断をした上で預ける(預けない)。これしかない。インターネット上でおむつが好きだと明言しているアカウントを発見しても、そのインターネット上の情報が自分の実生活に適用できないと意味がないのである。ので、RTして拡散しておむつ好きは姿を消して、一体何が進んだのか?と私は思う。これはよくわからない。拡散した目的もわからない。

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 このように今後も日々感じたつまらないことを雑に書いていこうと思います。Twitterに書いてたんだけど、Twitterに書くには自分の考えが長くなってきた(合わなくなってきた)気がするのでこちらに。