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紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

雑記:無知であることについて

雑記

 もう更新されていないブログを巡っていたら面白い文章があった。

“50ドルのゲームを逆立ちしたって買えない貧乏人や、無知ゆえに他者の仕事に敬意を払う事、つまりは結局相応の対価を払うという当たり前の事ができない人がクラックコピーで遊ぶのだ。”
http://vgdrome.blogspot.jp/2015/04/pc.html#more

 「無知ゆえに他者の仕事に敬意を払う事、つまりは結局相応の対価を払うという当たり前の事ができない人」という捉え方は面白い。これが的確かは置いといて、無知なのだ/それをするのが当たり前のことなのだ、とするのは具体的な認識としてうまく機能するうえに「なぜいけないのか?」に対して「そうなってんだよバカ」で話はちゃんと終わる。
 かつて存在した美しい認識は「無知そのものは悪いことではないので、誰かが無知であることをバカにしたりはしない」だったのだけれど、それによって無知であることを開き直る人間が増える。そこには無知であることを知れば自ら恥じるであろうという公算があったと思うんだけど、うまく機能しなくなった。ので今後は積極的に無知であることをバカにしていこう!となるのだろうか?ここでいう無知は「マジで知らない」だけでなく「知らない振りをする」とか「怒られるまでやる」「悪いことだと知ってるけど損得勘定してギリプラスぽいのでやる」等も含む。というか、そういう行為が跋扈した際にどう処するかという話か。性善説で成り立ってる社会では無知な行いの方がしばらく得するってことが目に見えやすいんだよな。これが問題。

 といって無知であることにペナルティを科す社会は窮屈でよくないと思うんだけど(バカなだけの学生やいつまでもバカな私のような者が死んじゃうし)んじゃ無知のふりする人間をどうするのかってのは難しい。難しいですね。しかし個人的には、どんなにそのとき繕っていても無知であることを誇るということはじつは誰にもできないことなんじゃないかと密かに思う。ので「それは無知なんだ」と指摘するのは(たとえ相手がそのとき開き直っても)意味がある気がする。

 無知に対して即効性のある薬はない。しかし「他者の仕事に敬意を払う事」はどこかで知るべきことなのだ。