紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

作業日誌:170528 - なまけものについて

きょうのBGM : Yosuke Yamashita Trio - Ghost

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 アルバート・アイラーのGhostを山下洋輔トリオが演奏した録音。本家もいいけどこれも最高です。

作業日誌

 なし

なまけものについて

 最も貧なるものは最も富めるものであるというおとぎ話は世界中に散見されますが(『モモ』とか)、それはだいたいが勤勉なひとの話であってなまけものはお釈迦様もダメだよと言っている(思慮深く聡明でまじめに生活し…『法句経』)のでどうしようもない…かどうかを考えたい。べつに私はお釈迦様を信じているわけではありませんが…そういえばものぐさ太郎もダラダラしていたけどここぞというときに歌を詠み、お嬢さんをゲットしていたな。

 ところでトム・ルッツの『働かない』という本

働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち

働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち

に(むちゃくちゃ面白い。表紙も最高なのでぜひ読むべし)「カウチの上の息子」という章があって語られているんだけど(わざわざ本に書かなくてもそいつが世界中にいるのはみんな知ってるんだけど)カウチの上の息子と菩提樹の下でいちにち坐禅を組んでいたお釈迦様は違うものなのだろうか。と考えるとその社会がその無為なる人を包摂しているかどうかの違いというのがまず浮かぶ。なんで?という人はインドの托鉢の捉えられ方について調べてください。

 アリの集団の中にも働かないヤツがいて、それは他のアリが働けなくなったときに働く、要するにアリの集団全体で見ると合理的な存在なのだという論文を読んだことがあるが、私は無為というものはいづれ何かに転じるから意味がある、という解釈は間違っていると思う。それは前提からなにか価値というものの存在を認めているというか、計測できるなにかに依拠しているつまらない解釈であると思う。無為というのはそーいう「役に立つ」とか「長い目で見るとプラス」というような計った結果に出てくるものではなく、ただ無為、(宇宙のように)ただ存在する。それでいいのだと考えている。

 ちょっと話は変わるけどWeb上でも本でも文章をちゃんと書いている人はそれだけ勤勉なんだよな。もしくは仕事のために書いている。怠惰なやつは影も残さずに消えていく。ので怠惰なものというのは分析されこそすれ、本人たちの言はほとんどなく、中心部は空白、ドーナツのような謎であるのだ。わたしに何か書けるものがあるなら書いてみたい…がめんどくさいな。