紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

作業日誌:170608 - 為替は四時まで/甲本ヒロトの詩

今日のBGM : The Blue Hearts mix

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 下に書きましたが久しぶりに作業中に聞いていた。私の人生で詩というものにガツンとぶつかったのはブルーハーツ甲本ヒロトのものが最初だと思います。衝撃としか言えなくてびっくりした。このビデオは曲を短く切って多くの曲を紹介するようにミックスしているようです。何か引っかかったひとはiTunesとかで…買えるのかな?もしくはCD買いましょう。

作業日誌

 またも郵便局へ事務手続き…なのだが為替の取り扱いは16:00まで、着いたら16:30で「今日はもう終わりました…」と言われてムギギギギー!となった。

 Ray Johnsonのうさぎからいろんなものができないかなと思ってアイデアスケッチをしていた。発展するかはわからない。

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甲本ヒロトの詩について

 ところで今朝見た夢は実家の近所の畑でブルーハーツがライブしていて、ライブ中にヒロトが「ちょっとおしっこしたくなったんでトイレに行きます」と言ってトイレに行った、というものだった。

 起きてからしばらく甲本ヒロトについて考えていた。たとえば「好きな詩人は?」という質問があると、パッと答えが出ないので考えたあげくカッコつけて詩人として有名な人をあげたりしちゃいそうなんだけど、でも詩というものに出会った最初の衝撃はブルーハーツ甲本ヒロトだったなと思い出した。今考えてもそれを超えるものってほとんどない。宮沢賢治の数編、まどみちお、エミリ・ディキンスン、etc... 最初の刷り込みのせいか、もしくは本当に素晴らしいのか(両方だと思う)甲本ヒロトの詩は素晴らしいと思う*1。忘れてたけど。

 でもたとえばボブディランみたいに、ブルーハーツ(じゃなくてハイロウズでもクロマニヨンズでもいいんだけど)の詩にノーベル文学賞が与えられても、いや、あれは歌なんだよな〜という微妙な気持ちがすると思う。もちろん詩として抜き出してもいいんだけど、その素晴らしさは曲とともに唄われる言葉というか、それが歌になってるよさがあるんだよな。だから(だからとなるのか)ボブディランの受賞は、評価としては納得だけど、文学として批評するのが適しているのか?という問いはある。人間としてとても素晴らしい人に対して、プールの清掃員としての最高の評価しかしないような。それってやっぱ一部分なんだよねという感じというか。

肝心の歌詞(詩)を少し紹介

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 ザ・ブルーハーツの世界のまん中という曲では

朝の光が待てなくて 眠れない夜もあった
朝の光が待てなくて 間違ったこともやった

ぼくが生まれたところが 世界の片隅なのか

うまくいかないとき 死にたい時もある

という少年/少女を

生きるということに 命を賭けてみたい

 というところまで導く。この後にさらに一節があってこれがとてもこの詩を奥深いものにしてるんだけどそれは省略。

 まん中というフレーズといえば、ナビゲーターという曲では

わたしはきっと悲しみの まん中あたりで泣いている
わたしはきっと喜びの まっただ中で笑うんだ

 と唄われている。
 ラストアルバムの歩く花という曲は

知ってるかい 忘れてはいけないことが
何億年もむかし 星になった
どんな時代の どんな場所でも
おんなじように見えるように

 という素直で透きとおった表現がみられます

 甲本ヒロトの歌詞は『リンダ・リンダ』の有名なフレーズ

ドブネズミみたいに 美しくなりたい

 のように結果的に価値転換となる、もしくはネガポジ両極を等しく扱う素直なまなざしがあり、とても繊細で詩的だと思います。この歌というものを文字だけで詩としてみるのと、歌として唄われるのではぜんぜん違うと思うんですよね。

*1:ところで、真島昌利の詩も素晴らしいのですが今日は触れませんでした