紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

作業日誌:170609 - デュシャンの質素な生活/うまい運転、へたな運転

今日のBGM : Ceephax Acid Crew Boiler Room Manchester Live Set

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 Ceephax Acid Crewというバンド名みたいな名前だけど実際はSquarepusherの弟、アンディ・ジェンキンソンが一人でやってるアシッドテクノプロジェクト。この人はライブといえどもちゃんと機材を一つ一つ制御してその場でならして音源のような曲を再現するという律儀なライブをする(故に盛り上がる)ひとです。来日した際はぜひ遊びに行ってみましょう。

作業日誌

 今日も郵便局へ事務手続き…為替と定額小為替の違いを知った。へえ。

 帰ってから昨日の続き。考えたことはあまりメモしていない。作業の合間に岩波の20世紀思想家文庫 13、宇佐見圭司の『デュシャン』を読んでいる。ニューヨークに渡米する前デュシャンは図書館で少しの間働いていたらしい。そして生涯のあいだ禁欲的とも言えるほどのかなり質素な生活をしていたなかでの、おもしろい文章があったので引用する

『対話』*1のなかで何度もカバンヌは、その頃どうして生活していたのか? との問いを発する。デュシャンの答えはいつもあいまいで、生活がまるで金銭とは無関係に営まれていたような印象を人に与えるのだ。
 
「幸いなことに、私はその頃どうにかいくらかのお金をつくることができました。若いときには、どうやって暮したらいいのか、わからないものです。私には妻も子どももありませんでした。<お荷物>がなかったのです。おわかりでしょう。私はいつでも、どうやって生きていたのかと聞かれます。でもそんなことがわからなくても、なんとかやっていけるものなのです。」

 一九一四年のある日、彼は鉄製の壜掛けをオテル・ド・ヴィルで買ってきて、一番下の輪に何かを書きつけ、それを作品としたと言われる。
(略)
何のために、そんなことをするのか。
(略)
純粋にと書いたのは、それが生きることの無償の情熱であると思えるからである。
 私がデュシャンで最もおどろかされるのはその情熱である。アイディアではない。彼が他人に対してではなく、なによりも先ず自らのために、それを買いに行き、眺めて楽しんだと言うことである。何らかの楽しみがなければ、人は無償の行為をーーいやデュシャンほどの質素な生活者であればなおさら、わざわざそんな出費につながる行為をやるわけはあるまい。世界と切れた地点でひっそりと孤独に、それを作品として扱うこと、おどろくべきことに、それがデュシャンの気晴らしに通じていたのである。

 “どうやって生きていたのかと聞かれます。でもそんなことがわからなくても、なんとかやっていけるものなのです” というのはかなりいい言葉だ。

 デュシャンの人生を見ていると、孤独というのはただの前提であって個人々々に依る状態ではない、ということを思う。孤独とはそれに対する処し方や態度がそれぞれみんな違うだけであり、孤独な人/そうでない人がいるというわけではなく、みんながそうなのである。それをうまく受け入れることができるかってのが肝要で、もちろんデュシャンはこの前提をさらりと受け入れて生きていたように思える。のでその実例としてデュシャンを私は眺める。
 デュシャンはかなり洗練された引きこもりっぽいというか、孤独というものをうまく孤独の中で乗りこなしている人なので(他者によってそれを解消しようとしていない…と思うんだけど)現代の社会やSNSで沈没している人にとってもすごく学ぶところは多いと思う…けれどもどんな人を参考にするかというのは個人に依るな。

 少なくとも私はデュシャンにとても共感するし、基本的な態度はお釈迦様と似ていると思う。
 “悪を為さざれ、少欲にして林中の象のごとく、国を捨てた国王のごとくただ独り歩め”

デュシャン (1984年) (20世紀思想家文庫〈13〉)

デュシャン (1984年) (20世紀思想家文庫〈13〉)

うまい運転、へたな運転

 ところで今住んでるところでは車に乗っている。車に乗っているとうまい運転とはどのような運転か、下手な運転とはどのような運転かということを考える。答えから書くがエネルギー効率の点から考えると、車は静止状態から動き出すとき、そして動いている状態から静止しようとする時(ブレーキを踏む時)にエネルギーをより消耗する。ので、基本的には走り出している/走っている状態から他の車(人間や自転車でもいいけど)に余計なブレーキを踏ませない運転がうまい運転だといえる。逆に自分の車が列に割り込んだりスピードを上げて車と車の間をギリギリで通り抜けたりして他の車にブレーキを踏ませている場合は余計なことをしているということだ。

 なので運転中に考えることは、自分もできるだけブレーキを踏まずにすむように運転する、そして他の車がブレーキを踏まずにすむように無理な割り込みや進路変更をせずに運転する。これだけでいい。自分が曲がるために相手がブレーキを踏まないといけない状態は無駄、誰もブレーキを踏まずに住むタイミングまで待つ。これが基本。

*1:デュシャンの世界』のこと