紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

作業日誌:170610 - グッとくる音楽とグッとくる相手

今日のBGM : Charles Bronson "Youth Attack!" LP

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 1994-1997の間だけ存在した奇跡のバンドCharles Bronson、という名前もふざけているバンド。そういえばみうらじゅん大島渚という名前のバンドをやってたなあ。パワーバイオレンス、スレッジコア、ハードコアパンクなど彼らを形容するジャンル名は多々あるが、とにかく曲が速くて短くて叫んでいると認識しておけばOK。

 私はボーカルの声が高くてスネアがスタスタいってる速い音楽は無条件でいいと感じてしまう。このアルバムは20曲入りで13分ない。人生が早く終わりそう。

作業日誌

 土曜日なので(あまり関係ないけど)昼くらいまで寝ていた。土日は作業せずに遊びに行ったり誰かと会ったりしようかなと思って先週はこの日誌も書かなかったんだけど、今日はなんとなく結局作業していた。自分の仕事以外にやるべきことはとくにないと感じている以上、いい年して社交しても意味ないと思っているんだよな。といってまた遊びにも行きそうなんだけど。

 SaundersのWaterford(56cm x 76cm)という水彩用紙(F30より小さいくらい)にクロッキー帳に描いていた絵を切り貼りしてコラージュしている。どのような構成になるかはわからない。今までやったことのないことに挑戦しようと思う。こういうときは作業がとても楽しくて外に出る気が全くなくなる(いつもないともいえるけど、こーいうときは特に)。制作というのは自分をいかに楽しませることができるかというところが初手から重要で、どうせ金にもならないのだから飽きてることをしてもしょうがない。これが最も贅沢なことなのだ。昨日のデュシャンの引用で言えば

 “なによりも先ず自らのために(略)世界と切れた地点でひっそりと孤独に、それを作品として扱うこと”

 ということになる。結局自分を楽しませる以外にこの人生でやることはないのだ。

音楽と人に対するフェティシズム

 かなりくだらないことなんだけど、冒頭であげた音楽に対する私の感覚「ボーカルの声が高くてスネアがスタスタいってる速い音楽は無条件でいい」というのはフェティシズムとどう違うのだろうかとちょっと考えた。辞書を引くと

特定の種類の物に異常な執着•偏愛を示す人。
異性の下着や靴、毛髪などに性的関心を抱くこと。フェチ

 とある。まあほとんど変わらないですね。音楽も他人にも執着はしないけど…でもたとえばメタルとかノイズとかなんでもいいんだけど、とにかくそーいう音楽であればいいという態度は、音楽は手に入るけれども異性(性的な対象)に対する態度としてはフェティシズムだけを向けることはできない。要するにフェティシズム的視線を相手に向けても、相手がそれを受け入れるかどうかという問題があるわけだ。わたしはこのような格好や髪型に異常に惹かれるのだが、恋人には意志や人格があり、スタイルの移り変わりがあるわけで。自分のフェティシズムの対象であっても自分との関係が築かれるかは別、自分との関係が良好でも(恋人同士とか)フェティシズムの対象ではぜんぜんない、とか。…何が言いたいのかわからなくなってきたな。

 音楽は自分の好みがそのまま消費と結びつくけれど、人間相手はそうではないという当たり前のことかな。うーんそれだけではない気がするんだけど。