紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

雑記:多数派に属していてもそこにいる他人は自分と全然違う

anond.hatelabo.jp

 いい話だと思った。
 というのはこーいう明らかおおくの他人や社会が前提としている価値観とずれたものを自分が持っているのは不幸っちゃ不幸だけど個としての自覚としても機能するからであって「私はみんなと一緒」と無自覚に思いこんでるよりはよっぽど現実の認識としてクリアだと思うからです。なのでアセクシャルという言葉やカテゴリを彼(?)に乱暴にあてちゃうのも彼を取り巻く社会に内在する問題と同根だと思う。

 「付き合う」とか「好き」という言葉はみんな同じものを使っている。「セックスしたいと思う」「好きだからしたいと思う」とかも使うかな。でもそこにある意味やニュアンスやそこから除外されるものや重みはわからない。他人の言葉の内訳はけっきょく謎だし、定義もされていない。だから「自分の使う言葉の意味はだいたいみんなと同じだろう」というぼんやりした状態で日常生活は営まれていく。だけどあるときに言葉に結託していたものがお互い微妙に違うという事実とそれによって生じる悩みというものは、じつは誰にでも起こることでもある。

 究極だれかと一対一の個人としての関係性を築くというときには自分の所属やカテゴリや性向が多数派か少数派か常識的かそうでないかというのは問題じゃなくなる。「で、お前はどんなヤツなんだよ」という地点からお互い一歩も動けない。それを隠すために様々な幻想やイメージが流布されている(幸せな家族像、セレブ然とした生活、理想の夫婦、いろいろ)がそれらは一個しかない自分の意識をつかって一個しかない自分の身体を操縦するというこのどうしようもない現実の前では無効だ。自分が自分として生きるには、自分自身というものの輪郭線をはっきりととっておき、そんな自分が他人とどう接するべきなのかをえんえんくり返していくしかない。ということは自分は他人とは違う/他人は自分とは全然違うということにいかに気づいて自分でどのように対応していくかを考えるきっかけとしてはもの凄くいい。頑張ってください。

 ちなみにこれは自分という唯一の意識を持ってしまった生き物全員の問題のはずなんだけど、なぜか全員には発動してない逆転が起こっている。不思議ですね。

今週の一曲 Ultrademon - Bahrein

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 マジで深い意味はなくウルトラデーモン。rephlexからでたこのアルバムはけっこう昔の(00年前後)IDMマナーに則って作られていてとてもいいです。