紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

雑記:矛盾できるというのはとても高度な仕掛け

 最近は、たとえば「なんぴとも殺してはならないが、生きる為には何かを殺さないといけない(宇宙に干渉しなくてはならない)*1」みたいな矛盾に会ったときに、人が拵えた理という筋道しか動けないよりも、いつでもそこから逸脱して矛盾できることってとても高度だと思って感心する。

 人の理性や論理、考えって不完全で間違える可能性がつねにあるものだから、矛盾できるというのは考え通り動かないことに間違いを避けることもできるというプログラム上のムチャクチャ高度な仕掛けなんじゃないかなとか思っている。自分の考えた通り、理屈の通りしか動けないとバカな考えを持っちゃうと人は速攻死んでしまう。またはいくら理がとおっていても、その理を持ち出すのが正しいかはわからないとかね。

 ところで冒頭の考えに戻ると、他人って殺してはいけないものじゃなくてべつに殺すのは普通(食べてるし)、でも必要ないのに殺すのは水道の水出しっ放しにするみたいに勿体ないし無駄な行為だというだけのことじゃないのかな

*1:なぜ宇宙に干渉しなくてはならないと書いているのかというと自分が生きる為に何かを殺すことを悩む際に動物ならよくて植物ならいいのか、身体の中の細胞はどうなんだ、とかどんどん広げていくと、んじゃ酸素吸って二酸化炭素をはくのはどうなの?結局この宇宙の全てのものが全てのものと反応して宇宙を変えまくってるじゃないのという事に行きつくからです。