紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

小林秀雄抜き書き、自由と教養

小林秀雄『自由』より抜き書き

ハーバート・リードという英国の批評家の本を読んでいたら、自由という言葉について、面白いことを言っていた。英国人は、自由を言うのに、リバティーという言葉とフリーダムという言葉と二つ持っている。/リバティーは市民の権利だ。だが、フリーダムという言葉は、そういう社会的な実際的な自由を指さない。それは、全く個人的な態度を指す。/フリーダムが外部から与えられるというようなことはない。/自己を実現しようとする人は、必ず義務感と責任感とを伴うフリーダムを経験するであろう。例えば芸術家のフリーダムとはいうが、創造のリバティーとはいわぬ。リバティーとはフリーダムという価値の基盤に過ぎない。/言論の自由を与えよ、というプラカードの下に、いくら沢山な人が行進しようと、自分の苦心創作になる言論をだれも持っていなければ、自由の死骸を求めて、歩いている様なものだろう。/精神の自由は目に見えない。黙々として個人のなかで働いているし、またそれは個人にしか働きかけない。精神の自由を集団的に理解する事は出来ない。そういう自由が、実は、文化の塩となっているのである/

こちらも同じく小林秀雄『読書週間』より抜き書き

 教養とは、生活秩序に関する精錬された生きた智慧を言うのでしょう。これは、生活体験に基いて得られるもので、書物もこの場合多少は参考になる、という次第のものだと思う。教養とは、身について、その人の口のきき方だとか挙動だとかに、自ら現れる言い難い性質が、その特徴であって、教養のあるところを見せようという様な筋のものではあるまい。/私は、本屋の番頭をしている関係上、学者というものの生態をよく感じておりますから、学者と聞けば教養ある人と思う様な感傷的な見解は持っておりませぬ。ノーベル賞をとる事が、何が人間としての価値と関係がありましょうか。/私は、決して馬鹿ではないのに人生に迷って途方にくれている人の方が好きですし、教養ある人とも思われます。