紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

レンタルなんもしない人は個人の物語を目撃する

 レンタルなんもしない人とかが出てくるの多様性と言えると思うんだけど(そういえばニューヨークかLAかサンフランシスコかどっかで人の散歩につきあう人という需要があるというニュースを見たな)と同時に、多様性と言ってもそれは特定の誰かもしくは一定量の他人の欲望の具現と言えるかな。レンタルなんもしない人への依頼の全てを知らないのだけど、傾向として、何もしない人というものを必要とするのはきわめて個人的な欲望の表出の場であって、それを他人と共有(社会化)するのはむずかしいものになる。簡単なものなら友達や恋人といけばいいのだ。ここに物語は「誰かと」共有されるものという原則を見る。

 誰にも頼むことができない問題というのはうまく言語化社会化できなかったりする。言語って他人との間に架かる橋なんで、特殊だと思っていることを社会化したくない人は言語化できないんだよね。だけど行為はできる。一昔前ならドラマや映画の探偵がそのような依頼を受けていたんだけど、現代のレンタルなんもしない人はだれでもがだれでもにメッセージや体験やフィクションや思想を届けることができるSNSの内実の空虚感と凄く合致している。インスタ映えやバズ狙いや個人の欲求の物語化は誰もが個を主張する社会の産物なんだけど、レンタルなんもしない人は個を消した役割のひとで、個人の物語化社会において個を消した人が必要とされてるのはまあ当然というか、かなり面白いと思う。必然ともいえる。

 乱暴にいうと自分というものを社会化したいんだけど、この社会ではイヤなんだよね。でSNSも体感としてはガラガラの廃墟でクソなんだ。阿木譲さんの言ってた “インプレッションが5000ほどあっても、ありがとうのひとことも返ってこないTwitterって、いったいなんなんだ?” という言葉と「何もしない人が一人ついててくれる」レンタルなんもしない人の需要ってきれいに裏表になってる気がしている。

今週の一曲:Marlon Jacksons - Steal Your Bike (Si Begg Remix)

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 サイベグ好きなんだけどあまり似たような人(フォロワー)は現れない。とおもっていたらかなり似ている意外な人が出現したので今度それを紹介するための前フリで今日はサイベグ。

脚注

 ない。散歩に行く人のURLがわかったら足す