雑記:「90年代サブカル」という認識
サブカルチャーってインターネット以前は(以後でも)日本中どこででも同じテレビ番組や東京のニュースが流れるという特殊な事情によるメインカルチャー、に抗するありとあらゆるマイナーな趣味がそれぞれの島として存在していた。その背景には今のようなSNSやインターネットのなさと出版による情報の伝達ゆえに孤立する構造(これが島)*1があったんだけど、近年ネットで見かける「90年代サブカル」という概念について「90年代サブカル」と雑にくくってしまうのは各々の文化やジャンルに対して失礼だし、却って理解を遠ざけるものだと思ってるんだけど、とはいえ逆にそれくらいぞんざいな扱いをされても声が上がらないくらい当時も今もマイナーな存在だったとも言えるのかあとか思ったりしている。
じっさい当時Quick Japanとか買ってた人どれだけいるのかといえば、まあ学年に一人いるかいないかくらいの規模じゃないかなという感じだし、他にもたとえば雑誌『relax』は96年に創刊されているし『+81』は98年、『STUDIO VOICE』なんか76年からだけど、90年代当時に本屋でQuick Japanとも一緒に買ってたという人もいるんじゃないでしょうか。こーいう各種雑誌にも文化の萌芽があったし、とはいえとてもメインカルチャーを張る規模ではないけれど、悪趣味や鬼畜とも言えないありとあらゆるものがあった。
みうらじゅんの各仕事もタトゥ雑誌『BURST』もQJも渋谷系もハードコア、スケートボードカルチャーも原宿裏原ファッションもタモリ倶楽部もエレクトロニカ、レイブやドラッグ(マジックマッシュルームはまだ合法だったし)などもメインカルチャーに対する数多あるその他、サブカルチャーだったと言えると思うんだけど、当然90年代の悪趣味・鬼畜ものとは一線を画す表現ではあって、いま90年代のサブカル文化が悪趣味鬼畜露悪傾向みたいに括られてそこで起こっていたあらゆる出来事がその文脈に乗せられて解釈されていたり語られていたりするのを見ると(見る…)、あとから何かを知ったり理解するのにリソースさいて詳細に雑多な状態として認識する気がないのかな、まあ労力かかるし…という感じはする。
これはおおぜいに共有されるにはわかりやすい文脈に乗せる必要があるという構造によるものかもしれない。なのでマイナーで歴史にもならず、ほとんどの人々に忘れられていくような領域のできごとや、大事なことはずっと個人的に覚えておく必要がある。
だれかの用意した雑なくくりや歴史認識にみんなが乗っかるというのは、ある個人や少数でしかない集団の存在を暴力的に粗末に扱うということだし、そしてそのような動きこそがメインカルチャーに抗するサブカルチャーをわざわざ探したりするマインドの真逆の行いだと思う。とはいえ当時を知らない人があとから「メインでなかったもの」の詳細を掴むのは難しい。ましてや実際興味もないのにしっかり調べるなんてことはないでしょう。
消費は誤解とセットになっているし、個人的なことは歴史に残りにくいものなのだ。