紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

雑記:2024年の年末を期に近況を

 わたしが20代の時なんて労働やる気なかったし実際ほとんどしてなかったし労働時間中もテキトーに過ごしてプライベートの方が大事だから家帰ってからまじめに遊ぶという人間だった。いまは歳をとって単純に体力も全方位的なやる気もないからルーティンの労働しかしてないっていう状態なんだけど、何の因果か職場では若い人に仕事を教える立場になってしまっている。その相手は20代で真面目にこの職に就きたくて就き、この仕事ができるようになりたいらしい。で、それが日々の労働時間の経験だけで楽々こなしてできるようならいいんだけど、その人にとってはたぶんまだ経験も足りないし覚えることも多いし臨機応変な対応も求められるし適性もあるだろうしで、いまのところまだまだ必死で仕事に取り組まないといけないぽいし、一緒に残って指導してる日もあるくらいで、そうなるとその人の20代のプライベートの時間が充分に守られない可能性があるんだよね。

 個人的には20代といういろんなことを考えたり吸収したり取り組んだりする体力もある大事な時間を、仕事を覚えたり日々の労働についていくためだけに費やさず、いい映画や美術や哲学や小説や推し活や犯罪や麻薬や快楽の追求や勉強や家族や恋人との時間や海外旅行や知らん人との交流などにもガンガン使って世界を広げて欲しいなと思ったりもするんだけど、それはそれで私の狭い偏った考えなのだろうか。この社会におけるほとんどの労働なんて所詮他人の金儲けの手伝いなんだから、自分にとって大事なこと(やる意味のあること)を知っている人は自分の大事なことをして、生きていくための労働はテキトーにやりなよという考えの人間(私)が、未来もいまやりたいこともある人に「もうちょっと労働に集中して頑張りましょうね、やり方は教えますから」という話をすることになる。狂っている。もちろん前提として「あなたはマジでこの仕事やりたいの?プライベートを多少犠牲にしないとついていけないことでも?私は立場上指導してるけど、私が20代の頃は労働なんて価値ねえな早く家帰って遊びたいなと思ってたし今でもそう思っている人間なのよ。いま他にやりたいことがあるならそっちを優先する方がいいんじゃないの」とは伝えているのだが、「やる」というのでやっている…マジで意味がわからん

 おそらくいまの私には若い頃から労働をバカにしてきたバチがあたってるんだと思うけど、とはいえ労働なんて自分がいづれ死んでしまうというのっぴきならない大問題と比べたらどうでもいいものよという事実は揺るがない。私はどっちかというと仕事をサボったり、仕事以外にも大事なものや美しいものがこの世界にはあるよとそっと伝えるような人間になりたくて、まともな大人への道を踏み外してきたのに…悲しくてやりきれない。うまくいかないものですね。

Ascension Psalm (feat. Hdadd) - Clap! Clap!

www.youtube.com
悲しくてやりきれない時に聴く曲。人生はいいことがあってもも悪いことがあっても暮れていくということを思い出させてくれます

2020年4月25日の日記

 天気がいいので100年くらいまえに大阪でやったアンドレアスグルスキー展の図録をみて再訪していた。展示会場は文化不毛の地大阪の国立国際美術館。なので展覧会場はガラガラ、少数の客もどーみても普通の人でない人しかいなくて快適だった覚えがある。大阪はマジで文化死んでるんで変なことに興味ある人はほとんど少数だから変なとこ行くとガラガラなんでそーいう意味では快適なんだよな。だからボアダムスとかが(脈絡なく)ポッといきなり出てくる。とはいえそれがシーンにならずパラパラと点在するにとどまる。変な土地。
 メルツバウのライブとかでも3000円払った30人くらいの関西人が狭い部屋で呆然と突っ立って一時間ただノイズを聞いて終わりというチョンの間みたいな体験になる。こないだ友達に連れられて落語を見にいったんだけど、メルツバウのライブに似てるなと思った。目の前に出てきた人がやってることを30分間ただ見ているシンプルさ、子規模さというか。何やるのかは大体わかってるし。
 どんな業界でも人が多いと商売になる、商売になると食うために人が集まってくる、で人口の多いとこではしょうもない人でも「クリエイティブ」な仕事についたりしているんだけど、という意味では大阪みたいな文化死んでるとこでわざわざなにか変なこと(お笑い以外)をしてる人の態度はわりと好感が持てるなあと決めつけで思っている。

【編集中】映画『君たちはどう生きるか』についてTwitterに書けないのでここに随時書き足していく

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 アオサギの造形はよい、ペリカンもまあまあ、ただインコたち(王も)やワラワラの弛緩した造形の魅力のなさにはがっかりした。後半はのっぺりした無表情でシンプルな顔のインコが画面を埋めるシーンがかなりあって退屈した。例えばもののけの木霊はシンプルだがひねりがあった。
 夏子の表情はかなり『パプリカ』や『パーフェクトブルー』風味だったり冒頭疎開先の街並みやモブの表情、動きなど明らかに宮﨑駿「でない」テイストの強い画面に動揺した。

今回、宮崎監督は映画の設計図となる絵コンテの制作に専念し、作画監督が具体化するという体制で進められました。*1

 やはり宮﨑アニメの魅力は宮﨑駿が手を入れている圧倒的な細部の魅力だったのだということを実感した。

 エンドロールではなんだこのダサい歌はと思って絶対誰か覚えて帰ろうと思ってクレジットの映るスクリーンを凝視していた。

 大叔父の声(火野正平)、父親の声(木村拓哉)はとても良かった。

 鑑賞中なんとなく作品として若い印象があり、次回作はどんなのになるのかなとワクワクしていた。おそらく難しそうだが。

参考URLなど

・「君たちはどう生きるか宮崎駿監督が、新作映画について語っていたこと。そして吉野源三郎のこと|好書好日
book.asahi.com

*1:・謎に包まれたジブリの新作 鈴木敏夫Pに聞いた! www3.nhk.or.jp