紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

作業日誌:170522 - 個人的な逸脱、猫の好奇心

今日のBGM : Akufen - Seizure Salad [Karat Records – KARAT 57]

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 こーいう音楽の発明者、オリジネイター、Akufenの新しいEPからの曲です。
 Akufenはデビューアルバム『My Way』というかたぶんDeck The HouseのEPだと思うんだけど手法が衝撃で、そのあとこーいうカットアップという技法ありきの曲がガンガン作られるようになった。
 久しぶりに新しい曲を聴いてみたら、まあ同じような感じですね。洗練はされている。SquarepusherPrefuse 73もそうなんだけどエレクトロニック音楽ではある技法が発明されるとむちゃくちゃな衝撃とともにあっという間にコピーされる、そしてその発明者はそのあとどーすんのという難しい道を歩むことになる。興味のある人はJeep SexやDeck The Houseも聴いてみてください。古いけど、はっきり言ってそっちの方がいいです。

個人と常識

 だれかと、そのひとからのある問いかけや問題があって、それをそのひとと共有するというかなげかけられた際に、わたしとしてはどうしてもその問題を逸らせるわけにはいかないというか、正面から受けとめないといけないということがあって、それは相手が子どもだろうが未成年だろうか老人だろうが犯罪者だろうが恋人だろうが変わらないという確信がある。その際に、この社会のルールや法律、常識といったものを第一に考えるべきなのかというと難しい。やっぱ違うんじゃないかと。それら(ルールや法律、常識)の範囲内で何とかなること、答えの出ることならそもそもそのひとにとっての問題にすらならないのであって、それらと自分の感覚はどう考えても違う、逸脱する、そしてその逸脱は、ものすごく個人的で抜き差しならない逸脱でもある。

 けっきょくのところ、相手に対して「お前がたとえ人殺しでも私は味方だ」といえるのかどうか、そしてそれが言えないのなら、私がその人の友人であったり親であったり恋人であったりする必要はないのではないか。自分が法律や常識と同じことしか言えないのなら、その人は私でなく法律や常識に相談するだろう。と理屈では思うんだけど、難しい問題ですね。

作業日誌

 猫はすべてを
 理解していないかもしれないが
 好奇心を失うことはない
 わたしが冷蔵庫を開けるとき
 まいにち猫は冷蔵庫のなかを眺め
 わたしがまないたでなにかを切っているとき
 まいにち猫はそれをみせろという
 猫はそれらすべてを
 理解することはないのかもしれないが
 好奇心を失うことはない

作業中の一枚

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