紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

「セックスの哲学」について

『セックスの哲学 – 江口某の不如意研究室』
http://yonosuke.net/eguchi/blog/philosophyofsex

 ここ数日、このページの関連記事をつらつらと眺めていた。非常におもしろいですね。私はアカデミックな場にいたという実感がないので世の学者さんたちがどのようにものを考え、行為し、なにを「仕事」としていくのかということにとても興味がある。

 小学校の図書館で読んだ本である西村肇の『冒険する頭』も、そのひとの考え方や研究がどのように進んでいくかが詳細に書かれていて、とても面白かった。人がものごとをどう捉えてどう考えてどう行動したかの記録ってちゃんと言語化されてるとすごくおもしろいんだよね。岩波現代文庫になってるファインマンのエッセイもとても面白い読み物なんだけど、基本的にはファインマンが何にぶつかってどう考えたかということが書かれている。それがおもしろいって意味です。

 検索してみると西村肇先生の『冒険する頭』は全文アップロードされていた。興味のある方は読んでみるといいです。古本でも安い。

『冒険する頭』
http://jimnishimura.jp/tech_soc/cha_brain/cha_brain.html

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 冒頭の江口聡先生の「セックスの哲学」関連記事に話は戻る。

 ここで行われている様々な議論や論文の紹介を見ていて何が面白かったのかというと、やはりそれは誰もが一度は考える具体的な疑問が含まれているというところではないでしょうか。

 たとえば「わたしとあのひとは好き同士ということになっているけれど、それは全く同じものをお互いに交換しているのだろうか?」とか「あのひとのいう「恋愛」とわたしの意味する「恋愛」にはどうも違いがあるようだ。あのひとの「恋愛」は私にはそう呼べるものとは思えない」とか「性欲ってそもそもなんなんだ?」とかね。そのようなある意味庶民的日常的な問題を、古今の哲学者や倫理学者など様々な人たちが大まじめに議論していたのだという面白さですね。

 まあ単純に自分が問題意識を持っていたり、それについて考えたことに対する議論は見ていて面白い。

 ただこれに関しては、議論が深まることによって社会的な利益はちっとはあるだろうけれど自分の生活に良い影響があるかというと少し微妙な気もする。現状、「恋愛」や「セックス」や「結婚」という名で呼ばれている競技は、統一のルールも定義もないなかでなんとなく行われていることであり、これに対して各人が各々明確な定義づけを行い、他者と出会い、話す中で互いの定義を交換し、同じ競争者として(伴走者でもいいけど)参加できるのかという手続きを踏むようにはならんだろう。

 上記記事の「モテ」に関する部分でふれられている通り、真摯/フェアさよりも強引さや根拠のない自信のようなものが強く作用するというのがずっと続く実情ではないだろうか。そこに何か議論と実情の乖離のようなものがある。

 でもまあたとえば酒を飲んで酔っぱらった相手とセックスすることについて、同意の形成は為されたといえるのか、責任の所在はどうなるのかといった議論は現実的だし重要だ。

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 ただ、なんとなく感じるのは恋愛や結婚やセックスといった「二人でブラックボックスを作り出す関係性」と言い換えてもいいのだけど、そこには互いに嘘を持ち込む力学のようなものがある気がする。もしくは、あとから言語化するなにか、物語化するなにか、相手(自分)とのルールを守るべきというフェアプレー精神を二の次にしてしまう何かというか…まあこれはよく言語化できないし、ただの思いつきなのでまた今度考えるかも知れないし考えないかもしれない。

 概論、第一印象としてはこんな感じです。

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今日のBGM:Actress x London Contemporary Orchestra - 'Audio Track 5'

www.youtube.com
ActressがLondon Contemporary OrchestraをつかってAphex twinのDrukqsをやっている、という感じの曲。いいです。