紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

雑記:今よりはやく走るもの、遅いもの

 こないだ友達が「嫌いな表現(形式)がどんどん増えてきてる」みたいな話をしてたんだけど、ちょうどみた映画でクイーンがRadio Ga Ga(レディ・ガガの元ネタ)という曲でラジオにもっと頑張れみたいなこと言ってることをなんとなく思い出していた。彼らはラジオに救われた世代の人たちなんだよね。

【和訳】QUEEN - Radio Ga Ga
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 で、それはそれで感動的だとしても、たとえば今は今もテレビを盛り上げようとしている人たちも明らかにいて、でも私と友達はテレビは終わってる(終わりゆくもの)だろうと思っている。音楽についてもレコードやCDを所有するのは一部の人間の趣味になっていくだろうし、これからの日本の文化を担うひとたちのなかではアニメもマンガも見てない人なんて少数派になるだろう。そこにはどうしようもない現代性みたいなものがある。デヴィッド・フィンチャーがいま生きているが故にfacebookマーク・ザッカーバーグをモチーフとして映画『ソーシャル・ネットワーク』を作るしかないように(つまらなかった)、ハリウッドで仕事をする際にマーヴェルヒーローものという形式の中で映画を作るしかないように。

 そのようにして今後出てくるほとんどの表現やおもしろいものが、自分たちの好きでないテイストであったり、好きでない文化を参照元として出来上がっていくということはもうどうしようもない。逆に言えば、中央にいないものはすでにもう終わったものとして死体なりにやっていけばいい。たぶんそれは「今」のことが気に入らない人たちをなんとかかき集めて狭いサークルを維持していくということが解決なのではなくて、個人はあくまでも個として存在するしかないという基本的なことだと思う。QUEENが死んでいくラジオを大事に思ったように、テレビを大事に思う人がいて、いやそれら全部死んでもいいネットがあればいい、もしくはもっと次のなにか、とどんどん「今」と仮想死体が増えていくんだけど、他人にとっての死体だとしても個人的にやっていくのは可能だよなとか。

 自分の感覚としてはいつも圧倒的に好きになれないものばかりがはびこっていたという感じだし、じっとしてたらそーいうものがメディアを通して自然と目や耳に入ってきてしまうので、無理してでも気に入る何かを探すという時期が昔からずっとつづいているから、まあ今がとくべつどーこうということではないんだけど。いい機会なので書いておいた。

 最後に最近の表現について。マンガは最近のものは全然わからない、アニメはいろんな批評や評論をみるとかなりおもしろそうなのもあるんだけど時間がかかるなあとか思って全然見てない。近年の日本映画でも俳優さんのレベルは上がってるみたいだから名作もあると思うんだけど追ってない。ある種の物語構造の更新みたいなのっていまはアニメが一番前衛なんじゃないかなという感じはしている。まあその原作のライトノベルやマンガと言ってもいいのかもしれないけど。あ、あとインディゲームもすばらしいものがたくさんあるんだけど自分ではほとんどやってない。

 とはいえまあこーいうものは出不精が全部カバーするのは不可能でいろんな友達や恋人と交流しつつひとの家の本棚にあるものをちょこちょこつまむみたいに摂取するのが自然というか関の山なので今後もそーいう知り合いを増やしたいなとか。よろしければどなたかよろしくおねがいします。