紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

雑記:町中撮影者の肖像権侵害と悪口/ヘイトスピーチ判定基準について

headlines.yahoo.co.jp

 上記ニュースに対して直接どーこういうつもりはなくて(動画も見てないし、この出来事に他人が介入することなのかどうなのかわからない。情報が一方的で少なすぎるとは思う)ただ二つ連想したことがあるんだけど、一個目は肖像権の侵害ってどうとらえられたり法的に処理されてるのか、もうひとつは何が悪口で何がヘイトスピーチなのかっていう。

1)町中撮影者による盗撮/肖像権の侵害について

 往来で動画を撮影しながら店(他人のプロパティ)のドアを開け、中にいる人に無断で撮影(録音)してネットにアップロードすることっていうのは咎めないつーか普通のことなのかなと。おれは勝手に撮られたら「このファッキンどアホ!勝手に撮るな」と怒って言いそうだなとか思ったわけです。で、町中で撮影してる人の肖像権侵害問題ってどーなってんのだろうかとちょっと思った。今はケータイにカメラついてるし勝手に町中で写真や動画も撮るしネット放送してる人もいる。まあ被害が実体化しにくい(自分が誰かの動画や写真に映っててもそれを発見するのが困難)てのもあるかな。でも撮影してる人でも「撮影していいですか?」と言われたらまあ考えるし、何も言わず当然のことのように自分の姿を撮影されたら「無礼なヤツだな。やめろ」と思う。そこは法的にどーこうはおいといて、まあムカつく。

 でも最近個人的に気になるのは、町中で映り込む人への配慮みたいなのが感じられない撮影者を見かける割合が増えている気がすんだよな。勝手に撮っている、勝手にアップロードしているっていうことがそもそも問われないっていうか。テレビ番組だと道歩いてる人(撮影許可の取れてない人)にはモザイク入れてるみたいだけど。

 私も動物園や外国で撮った写真には道行く人が写りこんでたりするんだけど、彼らに撮影の許可は取ってないから潜在的には盗撮、無断で撮影している。これをアップロードしたりすれば肖像権の侵害だとして訴えられてもおかしくない…けどまあ確率的にバレる(見つかる)わけないっていう状況があるんだよね。ネット上で無名の個と個がなかなか結びつかない。

 でも最初っから不特定多数に写真や映像を公開するつもりのテレビ局やカメラマンやYoutuberや映像作家ならそのへんは意識しといてくれないとかなり迷惑な存在になるよな〜とか。まあ今後各地で迷惑防止条例とかで整備されていくんだろうけど。でも法律で悪いと言われるまでそれをする、もしくは悪いことだと思わないのはちょっと衝突になるから、話し合いとか相互理解が必要なのかもしれん。

 服着てふつうに町を歩いてる人を撮影することと、スカートの中などを撮影する盗撮とは別の問題らしい。

2)何がヘイトスピーチでそうでないのか、どうやって判定するのか

 たとえば男にムカつくことされたら「このクソ野郎」とか、女にイヤなことされたら「このクソ女」、もしくはバカだなと思った相手に「バカ」とか人を殺した人に「この人殺し」とか言うと思うんだけど、それと韓国の人に(日本人でもいいんだけど)イヤなことされたら「ファッキンコリア(ン?)/ファッキンジャパニーズ」というのとどう違うんだろうか?「ファッキン」は禁止用語でもないよな。韓国人にコリアというのは差別になるのだろうか?日本人にジャパニーズというのはべつに普通のことだよな。ムカつく日本人にファッキンジャパニーズ/ファッキンジャップというのは(社会通念上の言葉遣いについての善悪の基準はあるけど)まあ(悪口として)妥当な気がするんだよね。これが「お前が日本人だからムカつくんだよ」はヘイトスピーチになりそうな気がするんだけど、それも曖昧だな。

 これはべつに前述のニュースについてでなくて一般的な判定として、たとえばバカなことしてるヤツに「バカ」というのと、失礼な韓国人(日本人)に「ファッキンコリア(ジャップ)」というのどう違うんだろうか。後者は差別発言になるのかな?これがよくわからん。

 「その言葉を言われること」の不快さや、その言葉のタブーの度合いはある程度の文化的な共通認識はあれども基本的には個人に依る。関西では「アホ」はすぐ言ったり言われたりするけど、関西人じゃない人は怒りますよね。すると個人の受けとめ方が違うとして、どんな単語(もしくは文脈?)をヘイトスピーチやただの悪口とみなすのか?という疑問があるんだよな。

wikipediaには

ヘイトスピーチ(英: hate speech)とは人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、障害など自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて個人または集団を攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動のことである。

 とあるんだけど、それこそ「主体的に変えることが困難な事柄」ってほとんどのことで、肌の色も生まれ育ちの土地も声のでかさも知能指数もつい万引きしちゃう手癖の悪さもアルコールに依存していることもカッとなると暴力を振るってしまうこともついつい数学に熱中してしまうことも、それこそ本人は変えようと思っても変えられないことってたくさんある。それらについての言葉を相手に投げることが全部ヘイトスピーチというわけ?とか。

 で、たとえば迷惑なことをしている相手に怒って「ファッキン野郎/ファッキン撮影者/ファッキン韓国人/...(なんでもいいんだけど)」と言ったとして、それってヘイトスピーチになるのか?と思うとよくわからないよなとか思いました。

重要な動画:important videos

 コンピュータ端末でYoutubeを見ていると関連した動画やお勧めの動画がずらっと右に並ぶ。Googleのアカウントでログインしていると過去の視聴履歴からYoutubeさんが気に入りそうな動画のアタリをつけてきたりするのだが、いつの間にか視聴中に頻繁にあるリストが表示されるようになった。
 私は偏屈なのでそーいったものは極力排除して生活しているのだが、なんの気の迷いが生じたのかクリックしてしまった。そして、そのリストを最初から最後まで見てしまった。リストには311もの動画が収録されている。リストの名前はimportant videosという。

 important videos。重要な動画…この時代に、しかもYoutubeに、どんな重要な動画があるのだろうか?(反語)この直球のセンス。今思えばヤバい匂いが立ち上っていたのだ。私はそれにしばらく気づかなかったのだ。

 収録されている動画は、とにかくくだらないの一言につきる。しかしそれらは確かにセレクトされている。すばらしい仕事である。こいつは天才か?ただのヒマなアホか?どう考えてもアホの方だ。しかしそのアホの仕事に人々が動かされることがあるのだ。なんとインターネット的だろうか。ここにはYoutubeでバズることを目的として作られたような動画は殆ど収録されていない。ローカルなショッピングセンターの手作りCM、韓国のドラマで怒った女性がキムチでビンタするシーン、地面に落ちたスコップが偶然NirvanaSmells Like Teen Spiritを奏でる瞬間やすごいヒゲの持ち主選手権などどちらかと言えばこのようなリストになかったら殆どの人は一生見る機会のなかったような動画ばかりだ。

 ぜひヒマなキッズやヒマな大人のキッズは見て欲しい。いや、見なくてもいい。どっちでもいい。とにかく私はちょっと「やられたなあ」と思ったのであのリストを作ったアホに敬意を表して紹介しました。それだけ。

www.youtube.com
なぜかここでURL貼ると全部の動画を見るリストにならないみたいなので全部見たい人は途中でYoutubeに飛ぶか以下URLから見てね。

Yee - YouTube

* * *

気に入ったビデオの抜粋
をしようかと思ったけどやめた。これらは全部通してみるのが真っ当なのだと思いました。リスト再生中に動画のコメントを見ると、このリストでマラソンしている人たちの交流やコメントが沢山残されていて面白いです。それぞれみんなバラバラの時空でこのリストの動画を見ただけで、全く連帯や共同の感覚もないんだけど何かを共有したという感じが非常にインターネット的でいいです。

f:id:saigoofy:20170304200215p:plain
ゲエ!三億回再生されてる。

雑記:無知であることについて

 もう更新されていないブログを巡っていたら面白い文章があった。

“50ドルのゲームを逆立ちしたって買えない貧乏人や、無知ゆえに他者の仕事に敬意を払う事、つまりは結局相応の対価を払うという当たり前の事ができない人がクラックコピーで遊ぶのだ。”
http://vgdrome.blogspot.jp/2015/04/pc.html#more

 「無知ゆえに他者の仕事に敬意を払う事、つまりは結局相応の対価を払うという当たり前の事ができない人」という捉え方は面白い。これが的確かは置いといて、無知なのだ/それをするのが当たり前のことなのだ、とするのは具体的な認識としてうまく機能するうえに「なぜいけないのか?」に対して「そうなってんだよバカ」で話はちゃんと終わる。
 かつて存在した美しい認識は「無知そのものは悪いことではないので、誰かが無知であることをバカにしたりはしない」だったのだけれど、それによって無知であることを開き直る人間が増える。そこには無知であることを知れば自ら恥じるであろうという公算があったと思うんだけど、うまく機能しなくなった。ので今後は積極的に無知であることをバカにしていこう!となるのだろうか?ここでいう無知は「マジで知らない」だけでなく「知らない振りをする」とか「怒られるまでやる」「悪いことだと知ってるけど損得勘定してギリプラスぽいのでやる」等も含む。というか、そういう行為が跋扈した際にどう処するかという話か。性善説で成り立ってる社会では無知な行いの方がしばらく得するってことが目に見えやすいんだよな。これが問題。

 といって無知であることにペナルティを科す社会は窮屈でよくないと思うんだけど(バカなだけの学生やいつまでもバカな私のような者が死んじゃうし)んじゃ無知のふりする人間をどうするのかってのは難しい。難しいですね。しかし個人的には、どんなにそのとき繕っていても無知であることを誇るということはじつは誰にもできないことなんじゃないかと密かに思う。ので「それは無知なんだ」と指摘するのは(たとえ相手がそのとき開き直っても)意味がある気がする。

 無知に対して即効性のある薬はない。しかし「他者の仕事に敬意を払う事」はどこかで知るべきことなのだ。