紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

作業日誌:170622 - もし俺がダメになったら

今日のBGM : Fall Back Down - Rancid [Official Music Video]

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 RANCIDのライブでもだいたいアンコールで演奏される(これを聴かないと客がかえらない)曲。fall back downというのはぶっ倒れたときとかダメになったときみたいな意味で、歌のトーンとしては「そんなときには女は手をかしてくれねえよ、でも友達はお前を助けてくれるだろ」みたいな友情ぽい歌です。

 アメリカのパンクバンド(だけじゃないけど)に顕著なというか伝統に「俺は売れて浮かれてドープやって酒も飲んでアホなことばかりしてたらそのうちまわりには誰もいなくなっちまったよでも俺はまだここに立っているよ歌」というものがある。だいたい依存症になって問題を起こしてリハブへ行ってまた復活してこーいう歌を唄ったりね。

 そーいう曲がウケるという背景にはやはりアメリカの薬物や依存症問題というのは市民にも根深い問題なんじゃないかと思うんだけど、そういえば日本でも違法薬物などで事件を起こした芸能人のひとにも、たとえばバンドをやっている田中聖くんとか押尾学くんとか歌手だった酒井法子さんもこーいう歌を唄えばいいんじゃないだろうかとか思う。

 映画を見て泣いてるから心がきれいというわけではないように(涙は目にソフトボールが当たっても出る)違法薬物もそれをやってるから悪人、悪人だからやるという解釈(はっきり言って偏見)は不十分であって、そこはもっと市民の理解が必要なところだと思う。まあ最初っからそーいうものに手を出さずにすんでる人が大半とはいえ、それがあるところにはあるという状況や中毒者の実態を理解するというか。

 (社会的に)愚かな行為、間違ったことをしてしまう/してしまった人に対して寛容な社会のほうが私は合理的だと思う。寛容であるためにはそのことについて無知ではいけないんだけど。

作業日誌

 今日は昨日の続き。主に色えんぴつでものを描いた。色えんぴつは三年前くらいに入院したときにもらったモノで描き始めたんだけどいまだにうまくならない。でも三年前よりは上達した…というか使い方がわかってきたという感じ。ゾンネンシュタイン(
Friedrich Schröder-Sonnenstern - Google 検索
)とか色えんぴつですごい絵を描いているので画集をちらちら見たりする。ニューヨーカーなど有名な雑誌でさし絵を描いてるYann Kebbi(
Dessin 1 - Yann Kebbi
)もソール・スタインバーグ直系って感じの画風で、彼も色えんぴつでいい絵を描いているので好きですね。

ゾンネンシュタイン
https://farm4.staticflickr.com/3947/15717065095_64a4e6b0b8_o.jpg

Yann Kebbi
http://payload403.cargocollective.com/1/18/604750/10374799/dessin-1_800.jpg

作業日誌 : 170621 - 黄金時代 〜 マリオがスターをとったとき

今日のBGM : This time i know it's for real - Donna summer

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 ギリ80'sなんで当然なんだけど出だしのトボケたシンセがファンタジーゾーンみたいでいいですね。私はボーカルない方が好きです。

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 ファンタジーゾーンも良BGMゲームとして知られているみたいですけど、私はアーケードやメガドライブよりもNES版、日本で言うファミコン版の音が好きですね。なんか機材の音がナマでぶちあたってくる感じと、メインの旋律の音色のトボケた感じが。

作業日誌

 あまりうまくいかなかった作品の手入れ。こうして別ものになっていく。出来のよくないものには躊躇なく手を入れることができる。たとえ途中でも出来のいいものは中途半端に大事にしてしまうあまり、そこからものすごくいいものになることはない。作品に対してビビっているといっていい。多くの芸術家の話を聞いているとこの心理はどんな人にもあるらしい。だからこそ新しいことに挑戦すること、怖がらずに手を入れること、すでにあるものを破壊して次へ行こうとすることの価値は変わらずあるのかもしれない。

 あまり大事じゃないものは乱暴に扱えるのでかえってそれと接する時間が長くなりある意味では気に入っているといえる、という状態は日常でもある。大事な服よりもどうでもいい服の方が何度も着ていたり、大事な相手よりも…とこれはよくない表現になるのでやめときましょう。

歳をとって崩れるということ

 抽象的に話すけれど、現在20代で、いつか30代になっても崩れない人を見つけるよりも30代で現に崩れてない人を探すほうが簡単だなと周りを見て思う…べつに40代でも50代でもいい話だけど。

 というのは一般論として、若さというものは全ての難を隠している状態、マリオならスターとって光ってる状態なんで、未来を見定めるのは難しい。その輝きを失ってから判断するほうがわかりやすいということです。それがまあ30代頃からの話なんじゃないかと。年をとって崩れるというのは突発的な、たとえば交通事故にあうとかそーいうことでなくて(ないこともないと思うけど)、傾向としての結果なので、よーするにボーリングの球を投げる瞬間の微妙なズレがのちのちに響いてくるというようなことなので、時間が経たないと見えてこないし、見えてきてから気づいてもそっから簡単に修正が効くというものではないぽい。

 んじゃ自分はどうなのか、崩れないように何かをしているのかと問われると難しい。崩れないために何かをするというのは誤った考え方で、何かをする、何かをちゃんと守るということが結果的に自分を崩さないということに部分的に繋がっているのではないかと思うのだけど…

 いやそもそも崩れないのがいいこととかそういうことでなくて、若さというものは本当にすべての難を隠しているモノなんだなとあらためて感じたということですね。私はよく若い頃に若くて美人の人と会うと素敵だなと思うと同時に「もし自分の目が見えなかったとしてもこの人を好ましく思うだろうか?」と考えたものです。なんか話がズレた気がするな。

作業日誌:170620 - エルデシュ本の引用など

今日のBGM : Takkyu Ishino - Ghost in the Shell

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 これも懐かしい曲。私がテクノのCDで初めて買ったのこのアルバムだったと思う。それだけです。

作業日誌

 今日は通院日だった。家に帰ると午過ぎ。夕食後に作業するかもしれないが日中は作業しなかった。

読書記録 : エルデシュ

文庫 放浪の天才数学者エルデシュ (草思社文庫)

文庫 放浪の天才数学者エルデシュ (草思社文庫)

 草思社エルデシュ伝記本。だいたい誰かの伝記って長いわりに途中かなりの領域で飽きるんだけど、これは内容の7割が面白いというかなり稀有な本だった。数学に興味ないと5割くらいかな。でも伝記としては無類に面白いのでオススメです。伝記ってほど大げさなものでもないか。人物読みもの。
 というか数年前に読んで二度目なのでやっぱりおもしろいと思って手元に置いていたんだと思うけど、まあ読み返すまでこんなにおもしろかったということを忘れてるんだよな。

 エルデシュ本で出てきた様々な概念についての本やウェブサイトを見る。本というものは今のところ何よりも情報のつまっているものなのでそこから樹状に手を伸ばすことができる。今日の病院での待ち合いにゲーデルの解説本と『数学を作ったひとたち』のフェルマについて書かれた章を読んだ。

 エルデシュ本からのおもしろい引用

(マーティン・ガードナー曰く)「初めて会ったとき、かれは開口一番こう言った。『いつ着いたのかね?』ぼくが思わず時計を見ると、グラハムがこっそりと教えてくれた。それがエルデシュ流の『いつ生まれたのか?』という意味だとね」エルデシュは同じ質問をこんなふうにも表現した。「いつ、生まれるという不幸に見舞われたのかね?」

エルデシュ語には特別な語彙があった(中略)「ボス(女性)」「奴隷(男性)」「捕獲された(結婚した)」「解放された(離婚した)」

「女性はボスで男性は奴隷だが、子供たちは本質的にボスなんだ。だから一度、こう訊かれたことがある。『男の子はいつから奴隷になるのか。もし男の子が元来ボスなら、いつ奴隷になるのか』とね。わしはすぐに答えたものさ。『ボスの尻を追いかけはじめたときからさ』」

だれかが「死んだ」とエルデシュが言うときには、そのだれかが数学をやめたことを意味した。人が死んだときには「去った」と言った。

 あとページが曖昧なのでうろ覚えなんだけど、カントールの『無限』に対する洞察についてポアンカレも軽視したとか、デカルトでさえ当時提唱された負の数(-1とかのマイナス)の存在を認めなかったとかいう話があった。
 過去の天才が一人で考えたことの100分の1も私のような一般人は考えつかないが、過去の100人以上の天才の発見したことを私はすでにあっさりと頭の中に概念として入っている。デカルトでさえ受け入れなかった負の数という概念やポアンカレも軽視した無限という概念も、いまの私だけでなく一般人もそのまま受け入れている。個人としての能力よりも種としての能力(教育ですね)の方が特筆すべきものなんじゃないかなとか。

 マイナスや無限という概念は、様々なことを考えるアナロジーとしてとても重要なものだと感じるのでその概念が頭にあるかないかってだけで洞察できる範囲がぜんぜん違うだろうなとか。

 あと

ディオファントスの『アリスメティカ』(略)の何巻かはアレキサンドリア図書館の二度の火災によって失われた可能性がある。一度目は紀元前四七年、ジュリアス・シーザークレオパトラの船に火をつけ、その炎が近くにあった図書館に燃え移った。

 ってアレクサンドリアの地理どーなってんだよ図書館は海の家なのかとか思ったんだけど

Ancient Alexandria Egypt
http://www.ancientvine.com/avimage/ALEXANDRIA_map.jpg

The destruction of the Great Library of Alexandria | Ancient Origins
http://www.ancient-origins.net/sites/default/files/field/image/library-alexandria-destruction.jpg

 これ見ると図書館はかなり海辺でクレオパトラの住居は小島になっててたぶんその周りにずらっと船を浮かべてたんでしょう。それにしてもその飛び火で図書館燃えるってマジかよという感じ。ページを詳しく読んでないので細かいところはわかりませんが。