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紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

重要な動画:important videos

 コンピュータ端末でYoutubeを見ていると関連した動画やお勧めの動画がずらっと右に並ぶ。Googleのアカウントでログインしていると過去の視聴履歴からYoutubeさんが気に入りそうな動画のアタリをつけてきたりするのだが、いつの間にか視聴中に頻繁にあるリストが表示されるようになった。
 私は偏屈なのでそーいったものは極力排除して生活しているのだが、なんの気の迷いが生じたのかクリックしてしまった。そして、そのリストを最初から最後まで見てしまった。リストには311もの動画が収録されている。リストの名前はimportant videosという。

 important videos。重要な動画…この時代に、しかもYoutubeに、どんな重要な動画があるのだろうか?(反語)この直球のセンス。今思えばヤバい匂いが立ち上っていたのだ。私はそれにしばらく気づかなかったのだ。

 収録されている動画は、とにかくくだらないの一言につきる。しかしそれらは確かにセレクトされている。すばらしい仕事である。こいつは天才か?ただのヒマなアホか?どう考えてもアホの方だ。しかしそのアホの仕事に人々が動かされることがあるのだ。なんとインターネット的だろうか。ここにはYoutubeでバズることを目的として作られたような動画は殆ど収録されていない。ローカルなショッピングセンターの手作りCM、韓国のドラマで怒った女性がキムチでビンタするシーン、地面に落ちたスコップが偶然NirvanaSmells Like Teen Spiritを奏でる瞬間やすごいヒゲの持ち主選手権などどちらかと言えばこのようなリストになかったら殆どの人は一生見る機会のなかったような動画ばかりだ。

 ぜひヒマなキッズやヒマな大人のキッズは見て欲しい。いや、見なくてもいい。どっちでもいい。とにかく私はちょっと「やられたなあ」と思ったのであのリストを作ったアホに敬意を表して紹介しました。それだけ。

www.youtube.com
なぜかここでURL貼ると全部の動画を見るリストにならないみたいなので全部見たい人は途中でYoutubeに飛ぶか以下URLから見てね。

Yee - YouTube

* * *

気に入ったビデオの抜粋
をしようかと思ったけどやめた。これらは全部通してみるのが真っ当なのだと思いました。リスト再生中に動画のコメントを見ると、このリストでマラソンしている人たちの交流やコメントが沢山残されていて面白いです。それぞれみんなバラバラの時空でこのリストの動画を見ただけで、全く連帯や共同の感覚もないんだけど何かを共有したという感じが非常にインターネット的でいいです。

f:id:saigoofy:20170304200215p:plain
ゲエ!三億回再生されてる。

雑記:無知であることについて

 もう更新されていないブログを巡っていたら面白い文章があった。

“50ドルのゲームを逆立ちしたって買えない貧乏人や、無知ゆえに他者の仕事に敬意を払う事、つまりは結局相応の対価を払うという当たり前の事ができない人がクラックコピーで遊ぶのだ。”
http://vgdrome.blogspot.jp/2015/04/pc.html#more

 「無知ゆえに他者の仕事に敬意を払う事、つまりは結局相応の対価を払うという当たり前の事ができない人」という捉え方は面白い。これが的確かは置いといて、無知なのだ/それをするのが当たり前のことなのだ、とするのは具体的な認識としてうまく機能するうえに「なぜいけないのか?」に対して「そうなってんだよバカ」で話はちゃんと終わる。
 かつて存在した美しい認識は「無知そのものは悪いことではないので、誰かが無知であることをバカにしたりはしない」だったのだけれど、それによって無知であることを開き直る人間が増える。そこには無知であることを知れば自ら恥じるであろうという公算があったと思うんだけど、うまく機能しなくなった。ので今後は積極的に無知であることをバカにしていこう!となるのだろうか?ここでいう無知は「マジで知らない」だけでなく「知らない振りをする」とか「怒られるまでやる」「悪いことだと知ってるけど損得勘定してギリプラスぽいのでやる」等も含む。というか、そういう行為が跋扈した際にどう処するかという話か。性善説で成り立ってる社会では無知な行いの方がしばらく得するってことが目に見えやすいんだよな。これが問題。

 といって無知であることにペナルティを科す社会は窮屈でよくないと思うんだけど(バカなだけの学生やいつまでもバカな私のような者が死んじゃうし)んじゃ無知のふりする人間をどうするのかってのは難しい。難しいですね。しかし個人的には、どんなにそのとき繕っていても無知であることを誇るということはじつは誰にもできないことなんじゃないかと密かに思う。ので「それは無知なんだ」と指摘するのは(たとえ相手がそのとき開き直っても)意味がある気がする。

 無知に対して即効性のある薬はない。しかし「他者の仕事に敬意を払う事」はどこかで知るべきことなのだ。

雑記:無人のブログと故人の墓

 最近は個人のブログを探して読んでいるんだけどだいたい更新されていない。更新はされていないから無人、空き家って感じなんだけど、かつてそのひとが書いた文章は沢山残されていて読める。更新してないブログは読める墓標みたいなもので、墓参りしながら読めるものを読んでるような感じ。もしくは空き家にホログラフィックな元住人が映って生活している感じか。

 ところで墓はあまりにも墓だけだからけっこうものとしてはつまらない。そこを訪ねて墓を前に静かに故人を思う時間はなかなかいいものだけれど、それのためにモノとしての墓が必要か、墓でしか作動できないスイッチなのかと問うとそうでもないだろう。てことはモノとしてはべつに墓でなくてもいいはずだ。んじゃ何がいいのか?私は人が死んで墓になるよりは人が死んで本になった方がいいと思う。死んだ人の本を読む行為は墓参りになるのか?いや墓参りの代わりにはならないが、そのひとが墓よりも本を残すような人間なら、墓参りよりも意味と交流がありそうだ。

 もし自分が何かを書いたとしたら、死後、誰かに数年に一度自分の墓を訪れられるよりも、自分の書いたものが読まれる方がいい。ほんとうはどっちでも自分には変わらないんだけど(死んでるから)。墓に行くくらいなら墓の中にいた人がどんな人だったかちょっとでも知れる方がいいよなと私は思う。

 とか書いていたらコーヒーこぼしたので墓業界の罰が当たったのかもしれない。