紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

雑記:Joi ItoとMIT Media Lab周辺のことがらについて

 ここ数日MIT Media Lab所長のJoi Itoこと伊藤穰一に関連したニュースを追っていた(九月十日現在辞任)。当記事ではその際に見かけたものや感じたことなどを雑多に羅列しておきたい。以下人物名など敬称略、だけど雑です。

 私が興味を持った起点としてのニュースは、Joi Itoがジェフリー・エプスタイン(Jeffrey Edward Epstein)からメディアラボと自身の投資ファンドへの資金援助を受けていたこと、ジェフリー・エプスタインからの資金だということを隠蔽していた(と解釈できる)ことがNew Yorker誌の記事として掲載されたものだ[*1]。その後、Joi Itoはメディアラボを辞任した(記事と辞任に直接の関係があるのかは明言されていない)。Joi Itoからの前述の記事への反論はまだ出ていない。メディアラボは現在、事実の究明のための調査を行なっている[*2]とのこと。

  上記New Yorkerの記事が核心だが、それ以前からも含め一連の流れは日本のギズモード[*3]やはてなの増田記事[*4]にわかりやすくまとめられている。他にもBoing BoingやWIRED Magazineに寄稿していたライターのXeni Jardinさんの「以前からメディアラボ内での疑惑についてNew York Timesへ情報提供をしていたがもっとも大事な部分は掲載されなかった。今回New Yorkerに記事を持ち込んだローナン・ファーロウ(関係ないけどウディ・アレンの子!)に感謝するといった発言[*5]もあった(当時Joi ItoはNYTimesの理事で現在は辞任)。参考までに。

Xeni Jardin @xeni
I told the @nytimes everything. So did whistleblowers I was in touch with inside @MIT and @Edge. They printed none of the most damning truths. @joi is on the board of the NYT. THANK GOD FOR @RonanFarrow

1.論点の明確さ

 この騒動でもJoi Itoのメディアラボ辞任についての論点が明確なところはさすがは「空気」というものの希薄な米国メディアで、日本にいるとこれはすごく良いところだと感じてしまう(あたりまえのことなのだが)。「エプスタインからのお金は受け取っちゃいけないお金と知ってたでしょ、で受け取ったことを隠して嘘ついたでしょ」というところが論点だ(Joi Itoからの反論はまだ出ていないが)。雰囲気や空気で辞任したり何に対して謝罪しているのかわからない騒動など、日本だと当たり前という感覚がある。この点はわれわれ一市民としても明確に意識していきたい。

2.メディアラボの功績について

 私はメディアラボやそこに属する人びとの業績についてあまりよく知らない、とTwitterに書いていたらこの記事を教えていただいた。[*6

MITメディアラボが「世界を変えた」イノヴェイション9選(動画あり)|WIRED.jp

 記事内の動画を見ると、我々が現在利用しているモバイルデバイスGPS、そして自動運転技術など今後も発展していきそうな発明もあった。それらの技術に実際どれほどメディアラボの研究が貢献しているのか門外の私には知る由もないが、今回の出来事だけによってMIT Media Labの活動を衒学的だ、実のないものだとは言えないだろうとは思う。

3.エプスタインからの資金援助はJoi Ito就任以前から

 MIT Tech Reviewの記事中[*7]にちょっとした情報をみかけたので貼っておく。Joi Itoが所長になる前からエプスタインからの資金援助は受けていたということらしいです。

MITのラファエル・レイフ学長は8月下旬、MITコミュニティ宛てのメールで大学の「判断の誤り」を認めた。 MITはエプスタインから20年にわたって80万ドルを受け取った。その一部は伊藤が所長になる以前のもので、そのすべてがメディアラボまたはMITのセス・ロイド教授に渡されていた。

4.名前を言ってはいけないあの人…

 New Yorker記事内に書かれていたのだけれど、エプスタインからの寄付ということを隠すため氏のことをハリー・ポッターシリーズのヴォルデモート卿、「名前を呼んではいけない存在」と記していたというのはおもしろい。私はハリー・ポッターシリーズを知らなかったのでTwitterで指摘されて初めて知りました。

The effort to conceal the lab’s contact with Epstein was so widely known that some staff in the office of the lab’s director, Joi Ito, referred to Epstein as Voldemort or “he who must not be named.”

ヴォルデモート - Wikipedia

後に英国魔法界を混乱に陥れると、多くの魔法使いは恐怖のあまり「ヴォルデモート」の名を口に出すことさえ恐れるようになった。そこでヴォルデモートを示す言葉として例のあの人 (You-Know-Who) 、名前を言ってはいけないあの人 (He-Who-Must-Not-Be-Named) などが用いられる。

5.スプツニ子!さんについて

 日本語圏SNSや記事の一部からスプツニ子さんの名前が上がっていたのでなぜかと思ったら、スプツニ子さんは元メディアラボ助教授であり、ニューヨーカー記事で "The effort to conceal the lab’s contact with Epstein was so widely known ..." と書かれているのでJoi Itoと当時近しかった人はエプスタインからお金を受け取っていることを知っていたのではないか、ヴォルデモート卿とか呼んでたんじゃないかということらしい(と私は解釈した)。ちなみにニューヨーカー記事の出る前(隠蔽と疑われる行為が記事となる前)にはJoi Itoを支援するサイトが発足した[*8](現在は消えている)のだが、そのサイトではJoi Ito氏を支援すると表明しているメディアラボ関係者も多かった。ということは研究所関係者の認識としてエプスタインからのお金だと "widely known" だったけどそれでもいいじゃんという認識だったのか、それもJoi Itoが隠してたので支援者も知らなかったのかはわからない。スプツニ子さんは前掲の支援サイトに名前を連ねてもいないし(サイト下部 Anonymous (x33) に含まれるかは不明)、自身のinstagram*9]でエプスタインとの関係も知らなかったし支援を受けるべきでない、と書いている。

I am saddened to learn of the involvement of Media Lab with Jefferey Epstein. Donations from such a person should never be accepted.

結び.お金を受け取るのは難しい

 この事件で私が考えるのはお金や資源というもののつながりと、それに善悪の判断を下す基準の難しさだ。端的にいうとエプスタインのお金は受け取ってはいけない「汚い」お金なのだろう。だが社会というものは繋がっているものだ。エプスタインがティッシュを買うためにコンビニでお金を使うこともあるだろうしホームレスにあまった小銭をあげることもあるだろう。エプスタインのお金で研究ができたという側面は確かにある。もっと言えば純真無垢だった頃のエプスタインがバイトで稼いで地中に埋めた当時のお金であれば「綺麗」なお金だと言えないこともないだろう(これは冗談)。お金はパンも武器も教育も買えるものなのだ。お金だけでなく、たとえば南方熊楠も学んだ大英博物館にある所蔵品には過去の戦争や略奪によって運び込まれたものもある。そこで現在学んでいる人々の知識は血や汚辱によって汚れていないと言えるのだろうか?私たちの生活に即しても、私たちが踏む道や電線だってどんな人が払った税金でできているのかわからない。完璧なクリーンネスというものは求めるべくもない。だからこそ明確なルールや基準を設けようというのは必要なことだと思う。

 といった極論までいかなくとも、とかくお金を受け取るのは難しいということをボストン・グローブが書いている。
MIT Media Lab offers painful lesson on donations - The Boston Globe
以下引用と雑な翻訳

 Facebook has repeatedly misused our personal data, and violated government agreements after being caught. Should founder Mark Zuckerberg’s money be shunned?
 Whose money is clean and whose money is not? What kind of behavior puts you off-limits?
These can be tough questions to answer.
 But here’s a place to start: If your development officer doesn’t want a donor’s name to be widely circulated, then don’t take the money. Joi Ito took the money even though he was ashamed of where it came from. That’s why he had to resign.

 Facebookは私たちの個人情報を何度も悪用し、being caught(悪事が公になってから?)も政府との取り決めに反しました。さて、マーク・ザッカーバーグからのお金は拒否すべきものでしょうか。
 誰のお金がきれいで誰のお金が汚れているのか?どのような行いが「ダメな」行いなのでしょうか?答えるのは難しい問題です。
 しかしここから始めましょう。もし寄付者の名前を知られたくないなら、その人からお金を受け取ってはいけません。Joi Itoはどこから来たのか公にできないお金を受け取りました。それが彼を辞任させた理由です。

 今回の件に関しては「出どころを隠さなければいけないような相手からお金を受け取ることは間違いだ」ということですが、ではどんな寄付者なら知られたくないのか/隠す必要がないのか、という基準は明確でないので結局よくわからない。エプスタインが生きていたときには彼が悪な存在だったとして、その影響力を広げるようなことに加担するのはよくないといえるかもしれない。エプスタインの関わっていた(とされる)ことのような「現在進行形の問題に加担するな」と言えるかもしれない。でもそれだって明確に判断できることでない。いや難しいですね。おわり。

今週の一曲:213 213r by Bogdan Raczynski

www.youtube.com
日本にも住んでいたことのあるブレインダンスミュージック(懐かしい言葉)アーティストのボグダン・レチンスキは長い間活動が休止していたのだけれども2019年4月に唐突にリリースしたアルバムから一曲。牧歌的で「あの時代」の曲って感じでいいです。

脚注

*1:・How an Élite University Research Center Concealed Its Relationship with Jeffrey Epstein | The New Yorker https://www.newyorker.com/news/news-desk/how-an-elite-university-research-center-concealed-its-relationship-with-jeffrey-epstein

*2:・Letter regarding updates on the Media Lab | MIT News http://news.mit.edu/2019/letter-regarding-updates-media-lab-0910

*3:伊藤穣一氏がMITメディアラボ辞任。エプスタイン事件経緯とMITメディアラボの対応のまとめ | ギズモード・ジャパン https://www.gizmodo.jp/2019/09/joi-ito-resigns.html

*4:伊藤穣一氏がMITメディアラボ所長を辞職したのは嘘がばれたから https://anond.hatelabo.jp/20190908182812

*5:https://twitter.com/xeni/status/1170352857952002048

*6:https://twitter.com/shinji_kono/status/1171231568326582272

*7:・MIT Tech Review: エプスタイン資金問題を受け、メディアラボの総会で話されたこと https://www.technologyreview.jp/s/161758/mit-media-lab-founder-i-would-still-take-jeffrey-epsteins-money-today/

*8:wesupportjoi.org

*9:・Sputniko!さんはInstagramを利用しています https://instagram.com/p/B2IeLrZjkjU/?igshid=10jkjv38bk9zv

雑記:とある記事の感想について その2

gendai.ismedia.jp

またも上記記事と、その記事の語られ方について。

 昨日も上記事についての引用や感想を書いた。
saigoofy.hatenablog.com

 そののち、Twitterはてなブックマークでも上記事を起点として男女問題や子育て等様々なことについて色々なことが言われているのを見ていたのだが、この記事はレイチェル・ギーザの『ボーイズ』という本の紹介とその援用(書評?とも言い切れない…)のような体で書かれている(ように見えた)ので、その上で何かを言うに際して

① 『ボーイズ』に書かれていることの正しさの検証
② 『ボーイズ』含む様々な引用元から援用された評者の言の正しさの検証
③ それらの正しさが自分たちの社会における議論にも適応するのかの検証

 くらいはまともな議論をするには必要だと思うし、そのような指摘がないのも効率が悪いと思うのでここに書いておく。

 以下、さらにこの上記記事を読み直していた際に気づいたことなどの引用と感想。

伝統的な「男らしさ」の檻にとらわれていた(…)レッド・ツェッペリンみたいにならないためにはどうしたらいいのだろうか。そうした関心に応えてくれるのが(…)レイチェル・ギーザ『ボーイズ――男の子はなぜ「男らしく」育つのか』(冨田直子訳、DU Books、2019)だ。

 と書かれているので評者はこの本を有効だと評価している…のかと思いきや微妙だ。「関心に応えて」くれても適切な問題の提起や問題の解決になっているかはわからないというくらいのことは考えて書いてはいるかもしれない。ということで保留。

「はじめに」でギーザが述べているように、男らしさには「身体的な攻撃性、性的な支配性、感情的にストイックで、タフで、自己制御力があること」(p. 17)などが含まれると考えられているが、こうした特質は実のところ、あまり良いものではない。最初のふたつは社会生活を送るにあたってはむしろ悪徳だし、後者の感情を抑えなければいけないという規範も、抑圧的になりうるものだ。

子供たちは、こうした問題含みの性質が男らしさだということを社会的に植え付けられて育つ。

 ここが難しい。「身体的な攻撃性、性的な支配性、感情的にストイックで、タフで、自己制御力があること」が男らしさに含まれるということはギーザが書いてそうなのだが「こうした特質は実のところ、あまり良いものではない。」は評者の言葉遣いである(ギーザの書き方がわからない)。「身体的な攻撃性、性的な支配性」は明らかに有害とみなせそうだが「感情的にストイックで、タフで、自己制御力があること」は過度な抑圧や強制がなければ本人にも第三者にも美徳とも解釈できる点だろう。「問題含みの性質」なのはそれこそ解釈によってそう言えるというだけなので、ここに関しては「あまり良いものではない。」という根拠がこの記事からだけでは見えない。保留。ここはまあ原本読めばわかるよだけど私はパス(図書館にあれば読むかも)。

『ボーイズ』の基本的な立ち位置は、いわゆる「男らしさ」、とくに「有毒な男らしさ」(p. 27)の多くが「文化的創造物」(p. 28)だというものだ。

 と書かれているとおり、ギーザが男たちに見出す悪さ「有毒な男らしさ」というのはギーザの属するもしくは研究する(アマゾンの部落や日本ではない)文化圏における創造物だという解釈が評者によってなされている。評者の『ボーイズ』への評価は先ほど述べた通り私には不明だ。

『ボーイズ』が提案するのは、子供ひとりひとりと向き合い、型にはめないように丁寧な教育、とくに性教育を行うことだ。さまざまな研究や教育実践が紹介されているが、ほとんどはいわば子供たちが社会から既に自然と身につけてしまった偏見を振り落とすための介入だ。

 「子供たちが社会から既に自然と身につけてしまった偏見」にはもちろんその社会ごとの違いがある。私たちの社会が彼らと同じ問題と同じ原因を有しているかはきちんと検証する必要がある。

女の子として育てられた人間にはいろいろ社会的に不利なことも起こるが、一方で暴力的、支配的であることが良いという価値観を植え付けられて大人になる機会はめったにない。穏やかさとか優しさが美徳だということを教えられる。

『ボーイズ』に書かれていることをよく考えると、男の子はこういう美徳を教育によって身につけるチャンスを奪われがちだということがわかる。これは男の子の教育にとって大きな損失だし、おそらく精神の安定にも悪い影響が及ぶ。男らしさに関する固定観念のせいで、男の子は相当な不利益を被っている。

 評者は女の子が教えられる「穏やかさとか優しさという美徳」を男の子は「教育によって身につけるチャンスを奪われがちだということがわかる。」らしい。ここで述べられている「男の子」はギーザが述べているアメリカの文化圏で育つ男の子の話だとみなすと、まあアメリカだとそうかもしれないのかなと私は思う。「男の子」が日本の子だとすると、それは言い切れないかなと私は思う。

男らしさを解体し、男の子の育て方を考え直すことは、男の子の利益につながるだろう。より自由で楽しく、精神的に安定した人生を過ごすきっかけになるかもしれないからだ。

 これは評者の言だし多くの人が口にすることでもある。「男らしさを解体」する必要があるくらい問題なのはギーザのいう社会での話なのでおそらくアメリカの子の話なのだろう。この結語も「男の子」がアメリカの子なのか、日本の子なのか、アマゾンの部落に住む子なのかを見極めることが必要である。

 結果として、評者がギーザの『ボーイズ』をどのように評価しているのか判然としないうえ、そもそもギーザの本を読んでいないひとはそこで書かれていることが正しいのかわからないという当たり前の点をおさえて、日本に住む我々にはこの記事を起点として話せることはかなり限定的なものになるのではないかというのが私の感想なのだけれど、冒頭にも書いた通りTwitterはてなブックマークでは色々な人が色々なことを言っているので私の感想をここに書いた。もちろんある事象からなにかを抽象化して何かを語るのは自由です。

 ついでに 'Toxic Masculinity' で検索してみると "factor for social issues like rape culture and gun violence" などと使われるようにレイプや銃犯罪などのアメリカでの社会問題の背景として使われている概念であるということがわかる(私の理解が足りないかもしれないが)。なのでアメリカほどレイプ犯罪多くないし、銃による問題もない日本でも、'Toxic Masculinity' を翻訳した「有毒な男らしさ」「有害な男性性」みたいな言葉を使うのなら、日本にある問題(社会問題)の背景に男らしさの影響があると解釈できる事例に使うのが最低限のモラルだと思います。そうでもないとそもそも話が通じない。私も最初「有害な男性性」とか読んでも意味がわからなかった。

個人的なことで恐縮だが、私はこの本を読んで、女で良かった…と思った。というのも、私はこの本で指摘されている伝統的かつ有毒な男性性をたっぷり備えていると思われる女性だからだ。私は非常に人間が嫌いで、所謂コミュニケーション力が欠如している。他人の感情を読み取ったり気遣ったりするのは苦手である。そのわりにケンカが大好きで、人と争うことが全く苦にならない。

 このような文化圏を超えた女性にもちゃんと備わる特質を「男性性」と名付けたり、カテゴライズするのは悪意あるというかなくとも弊害はあるとは思うなあ。

今週の一曲:Taragana Pyjarama - Ballibat

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とある記事の感想とジェンダー論に対する印象について

・男の子はいかにして「男らしさの檻」に閉じ込められるのか(北村 紗衣) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
gendai.ismedia.jp

 この記事は上記事を読んだ感想ですが、そもそも上記事は書評であり記事内で論じられているのは著者と評者の考えが混ざっている。私は評されている本を読んでいないので「この記事だけでは」よくわからないと思う部分を書き出しています。それのあとに少し視点をあげてジェンダー論のような文章全般にたいする考えを書いています。

 著者のレイチェル・ギーゼさんはカナダ人ジャーナリストらしいですが記事内引用に

これはアメリカ的な「男らしさ」とはかけ離れた特質で、

アメリカ社会においてはマジョリティである白人ミドルクラスの男の子はそれほど学業成績の問題を抱えていない(p. 167)

 などと書かれていることからアメリカを主な舞台として書かれた文章だと認識した上でこの文章を書いています。

以下引用と印象メモ。

レッド・ツェッペリンが悪い意味で「男らしさ」にとらわれたバンドだったこと

 これは明確に定まった事実なのだろうか?

ルーピー(熱狂的なファン)に対するモラハラがひどいバンド

 これは私は知らないが事実なのかもしれない。しかしモラハラのひどさが「男らしさにとらわれていたがため」という論理がこの記事では追えない。

男であることの意味を再考し、つくり変えていくにはどうするべきか

 これは(ほとんど枝葉の言葉尻のようなものだと思うけれど)男女関係なくその時代の社会規範や環境において全ての人間が考えることであって男女問題として捉える必要はないと「私は」思う。ユニバーサルアクセスとかバリアフリーの観点ですね。自分も相手も誰であれそうであるべきというか。それによって出した個人的な答えにも絶対的な正解や根拠はない。合理性はありそうだけど。

男らしさには「身体的な攻撃性、性的な支配性、感情的にストイックで、タフで、自己制御力があること」(p. 17)などが含まれると考えられているが、こうした特質は実のところ、あまり良いものではない。

 前者二つが有害なのは納得。しかし他の三つは美点として本人が捉えていること、または第三者からも捉えられることがあるので前者二点とは別に議論するべきではないだろうか。と思うのだがこれは評者による著者の文章の引用が含まれているので原本でどのように述べられているのかにもよる。枝葉ですね。

子供たちは、こうした問題含みの性質が男らしさだということを社会的に植え付けられて育つ。

伝統的なジェンダーステレオタイプのせいで、学力不振、退学、暴力犯罪などが「男の子だから」として見過ごされたり、きちんと批判・分析されずに単に不安を煽るだけのような形で放置されたりしてきた。『ボーイズ』はこういう状況を打開する試みだ。

 ここはアメリカだとそうなのかもなあだけどこの議論をそのまま日本に持ってくることはできないと思う。あとデータなり根拠が見たいところ。私も気になる。

では、レッド・ツェッペリンみたいにならないためにはどうしたらいいのだろうか。

『ボーイズ』の基本的な立ち位置は、いわゆる「男らしさ」、とくに「有毒な男らしさ」(p. 27)の多くが「文化的創造物」(p. 28)だというものだ。

 「(有毒な)男らしさ」の定義がわからないけれど、身体的な攻撃性や性的な支配性が「有毒な男らしさ」だとしたら、アメリカの「男らしさ」は社会によっても形成され、受け継がれているということが言いたいのだろうと思う。でもレッドチェッペリンのメンバーがファンにモラハラしてたのは(してたとして)文化的創造物のせいと言い切れるのかというとよくわからない。書評と導入部(Zeppの例)のつながりの論理が追えない。

「男らしさ」は普遍的な概念ではなく、社会や時代の影響で恣意的に決められる曖昧な性質だ。この曖昧な理想像のせいで非白人やセクシュアルマイノリティの男の子は仲間外れにされるし、型にはめられて自分の能力をのばせない男の子も出てくる。

 これはその通りだと思う。逆に今善とされている価値観もほとんどの人間にとっては自らの経験や先入観なしに作り出した信念というよりはただの流行りだと思うけど。以上引用終わる。

 当該の本はアメリカという国でいかに男の子を「現代的な」人間に育てるかという目的のための分析とHow toとして書かれた本なのかなという印象。でも日本の方がこの辺は進んでると思う。自覚して解決したとかじゃなくて、ただそのような問題がアメリカほど頻繁に大規模に起こってないだけ。原因の分析は私はしてない。

 この本の筆者はアメリカの人なのでアメリカの社会問題として解釈できることを述べているのだと思うけれど、それをそのまま紹介するのは難があると思う。国や社会ってかなり独特だから、その違いや背景を理解せずに議論だけを持ってきてもそれが普遍的な事実として通用するかはわからない。科学の分野は機能するかもしれないけど。

以下は上記記事を読んで、このようなトピックについてなんとなく抽象化して思ったことなど。

 ジェンダー関連?文章(という言葉遣いでいいのかわからないが)のようなものを読んでいて、有毒な男性性という概念を持ち出す必要性があるのだろうかと不思議に思うことがある。ある行為、たとえば身体的な攻撃性や性的な支配性の悪さについては「身体的な攻撃性や性的な支配性の悪さ」を指摘することが重要な点であって、穏やかさや優しさの良さが普遍的なものであればそれは男女問わず備わるのが理想の社会だろう。有毒なものは男女問わず悪質であるならばそれはただ「悪」として指摘すればいいと思うのだが。もちろん「分析の結果、有毒な男性性が原因として考えられる」という言葉遣いも可能ではあるだろうけれど、唐突に「有毒な男性性」とポンと言われてもなんのことかわからない。
 評者も

「男らしさ」は普遍的な概念ではなく、社会や時代の影響で恣意的に決められる曖昧な性質だ

 と書いているとおり、男性性(女性性)、有毒な男性性(有毒な女性性)というものもその都度その議論の場、対象となる社会や個人によって定義しなおされるべきである。その際に男/女という言葉をわざわざ使う必要があるのかは考えていきたい。というのも男性性/女性性という言葉を使う時点で、その議論における文脈があるていど決まってしまうのだ。これは実際の問題解決という観点から見ると害があると思う。問題提起はその方法によって問題の原因の解明と解決の難易度に大きく関わるので慎重に効率的にした方がいいと私は思う。

 と書いてから、以下記事を読んで少し納得した部分がある。

「刑務所のフェミニズム教育」①~ある受刑者による講義~有毒な男らしさ~
risakoyu.hatenablog.com

「刑務所のフェミニズム教育」②~ある受刑者による講義~フェミニスト
risakoyu.hatenablog.com

 
リーチー(リッチー?)・レセダ受刑者による「カリフォルニアの男性刑務所に服役している受刑者によるフェミニズム教育のレポート」より。(以下引用は記事先による)

ギャング、強盗は、女性はしない。
 2016年
 殺人事件 男性20310人 女性1295人
 乱射事件 男性152人  女性6人
殺人するということは、男性であることと関係しているのではないか。
銃よりも男であること自体が原因なのではないか。
「男性であるべきこと」が犯罪とつながるのではないか。

Toxic Masculinity「毒性のある男らしさ」「有毒な男らしさ」。
これは、「男らしさ」が暴力犯罪を引き起こす、という考え方。
拳銃を持つこと、人を殴ることで、男らしさを示そうとする。女性を大事にするとか守るとかではない。
「男性性」というものに縛られるのはやめましょう

受刑者主導によるグループプログラムにおけるリッチー受刑者の言

ところで「男らしくしろ」と言われたことは?
全員あるね。
これは逆に考えると、女の子みたいになるな、という、女性を悪いイメージでとらえることにつながるんだ。
おれは、男らしく生きてきたおかげで、刑務所に入れられてしまった。
おれは、子供のころ泣き止まないと親に殴られた。それで心を閉ざすようになったんだ。
刑務所ではヘロイン中毒にもなった。現実から逃げたかったからだ。

 この二つの記事で引用されているリッチー受刑者の言を見ると、Toxic Masculinity(有毒な男らしさ)とは、アメリカという社会に流布する固定観念に囚われた人(ほぼ男性)が自ら当事者として気づくためのひとまずの概念という使われ方のように感じた。そのためには男という言葉をあてた方が機能しやすいだろう。これは納得。しかし説かれている物事の内容については論理的に考え解釈すれば男性性を持ち出す必要のないものばかりだ。アメリカという社会においては男らしさというラベルがついた状態で刷り込まれたものだというだけで。

 なのでやはりこの概念をそのまま留保なしで日本にも輸入して議論で使うというのは問題があると思う。もちろん日本でも社会や家庭に流布する「男らしさ」によって今でもガチガチ縛り付けられていたり犯罪を犯したりする人がたくさんいるという世界観の人は利用するのかもしれないが。私はアメリカの状況が特殊なのだと思う。

 ある疾病にしても個別に対応できないほど数が多ければはじめからいっせいに予防接種を受けさせる方が効率的だし(抽象概念化)、それほど数の少ないことであれば罹患した者が個人的に病院で治療するのが効率的だろう(個別具体的な悪事の指摘)。いづれにしてもある社会と社会の状況の違いを計る視点は必要になるだろう。

さいごに

 基本的に記事そのものは疑問点もあり、なるほどと思う部分もありでとてもたのしく読めました。私の主意は議論や概念をどこかから持ってくる際には文脈や背景に慎重になるべきだくらいですが、これは書評という字数や様々な制限もある中でのお仕事の上で書かれた文章なので、受け取る側のリテラシーの問題でもあろうと思っています。個人的にはジェンダー論には興味はあるのだけれど、目に入った議論で交わされている言葉や概念や問題の取り扱い方の妥当性などがよくわからなかったりすることが多いのですが、今回はひとまずこのような形で思うところを書いておきます。

追記分

teebeeteeさん

感情的にストイック云々の、「男だから我慢」的通念が過度の(毒性の)抑圧となりうると元記事でも書かれてるし、自殺率の男女差の推定要因の一つということで割と一般的な理解だと思うけど、納得されないだろうか。

 その理解は納得します。意図としては「抑圧になりうること」「本人にとって抑圧にならなかったとしたら本人の美質になること」と「第三者にとって明確に有毒な(男性性と捉えられる)こと」は別にするべきだということを表現したかったのです。「男らしさ」で捉えられる点のうち、明確に悪なこと(有毒なこと)とそうでないことがあることの切り分けです…があれだけだとそうは読めないですね。すいません…

anmin7さん

「ストイックでタフ」である事を強要されんの結構な地獄だと思うわ。

 どの特質も「他人から」「過度に」求められるのは(強要されるのは)害悪だという理解は私も同じです。しかし自分の良さをストイックでタフなところと捉えている人のことも「男らしさの悪いところ」と捉えるのは違うと思うということです。これも私の文章が足りませんでした。

 指摘により文章を少し書き換えました