読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

第10号:誰かに何かを伝えることについて

おリス通信

 他人にアドバイスをしたり、アドバイスを求められる機会はあまりないのだけど、たまになにか助言やアイデア、意見を求められた時には何か答えたり自分の考えを述べたりする。それを人はアドバイスと呼ぶ…。まあ自分でもそう言うけど。

 で、それとは別に、以前はUstreamでラジオ番組(と称するもの)を放送していて*1、そのラジオではアドバイス…というか、自分の見つけた価値のようなものをラジオのリスナー(リスたち)に積極的に伝えようとしていた。それはなぜかというとよりよく生きるためにはうまく機能する情報が必要で、そしてそれはなにではないかというとやはりアドバイスや助言ではない。ただの発見。レポートや論文のように思っている。

 実は私は悟りをひらきたいと思っていて、それはなぜかというとこの世界は一体なんなのかどのように出来ているのか宇宙の始まりや終わり宇宙の外側はどうなっているのか自分とは何か死とは何か真善美とはなにかといった哲学的な問い*2に対する答えには、科学的にも論理的にも届きえない隔たりがあると感じていて、そしてその隔たりを跳躍するのに「悟り」というジャンプが必要なのではないかと思っている。
 お釈迦さまのような聖人でさえ悟りの境地に至るまで何回も何回も生き死にをくり返さないといけなかったわけなので*3、私のような凡人が現世一発勝負で最高に善く生き、悟りをひらくというのはおよそとんでもない離れ業のように思える。なので、自分の人生で得た情報だけでなく、今まで生きた多くの人や今も生きている人の残した/得た情報を結集する必要があると思っている。かんたんに言うと「仏陀ですら何周も生きないと悟りに達しなかったんだから俺ら生きてる全員で力を合わせないと無理ぽくね?とりあえず俺は提供するわ」ということですね。
 そしていつの日か修行の結果悟りを得たとしても、んじゃそれまではどう生きるべきなのか?自分は何をすべきで何をすべきでないか?という具体的な問いは目の前の差し迫った問題として常にあるわけで、「いづれ悟りをひらくからどう生きるかはべつに考える必要はない。何をしてもべつにいい。悟りに至れば全部あとで挽回出来るし」とはなぜか思えない。自分には毎日を「どう生きるべきか」という問いと「悟りとは何か」という問いは、全く同じことではないにしても、それぞれもとは一本の光線がプリズムを通ることによって分離した色のように感じるのである。

 なので私は「どう生きるべきか」を真剣に考えている(自分のような)他人を想定して、自分が見つけた「どうやらこれには価値がありそうだ」ということや「これはやらない方がいいぽい」、「世界の一部はこんなふうな構造になっている」という発見などを、見つけたり気づいたりし次第できるかぎり提示しようと思っている。その報告には誤解や情報の足りなさや不鮮明さ、ものごとの拡大解釈もあるし、そこにすら完全で絶対的な真実と言えるところまで到達できた情報はほとんどない。しかし、そのような情報はとにかく誰にでも理解出来る理路を通って納得出来る形で外に出しておく必要があると思っている。過去の偉人たちがそうしてきてくれたように。
 もちろん「善悪なんて人それぞれでしょ」と言う人にはなにも伝える必要は無い。「その人がいいと思えばそれでいいような善さ」というものは、わざわざ目指したり探したりする必要もなく、ただ勝手に自分勝手に行動すればいいだけだからである。
 私が提示したいのは(提示したい形は)その人にとっていいかどうかということでなく、例えば善さというものを目指すにはこういけばいいぽいよということです。よーするに探してない人には全く機能しないけど、探してる人には自分の見つけたものを提供するということですね。
 ただの発見、ただの仮説のようなものの提示というのは、べつに相手も採用しなくていいというドライなものなんだけど、でも同時にそれってまるで自分(のような人)に宛てた大事な手紙のようなもので、誰も読まないとしても真剣なものとなる。読者を過去の自分に見立てているというのもあるか。ともあれ情報としては論文的というか、まあ世間で言うアドバイスというのとはちょっと違うよなとか思った。アドバイスをしたいわけじゃない。

 そして出来れば私と同じように「どう生きるべきか」を探しつづけている人の考えも聞きたいし、意見の交換もしたい。ラジオを放送しているときは聞いている人のリアクションとか考えとか聞けてなかなか面白かったです。

 というお話でした。それではまた来週。

今週の一曲

www.youtube.com
ぼくはわりとヴォーカルの入っている曲よりも電子音や楽器のみが鳴っている曲が好きなのですが、このMax Tundraというエレクトロニカ・ポップ(と言っていいのか)アーティストがリミックスしたMint Royaleのこの曲『The Effect on Me (Max Tundra remix)』は好きですね。これは憂いを含んだヴォーカルがあった方がいい。ちなみにMint Royaleは他の曲もいいし、Max Tundraも他の曲もいいです。

おまけ

 話はいきなり変わるけど、例えば大人数で酒飲んでて説教する人いるでしょ。だいたい年上の人が年下にするんだけど。その説教の是非は置いといて、人類を(悟りに至るくらいとか)過剰に成長させようとしたらやっぱり人生をぎゅっと濃縮する方法をとりあえず試すのがいいと思うし、凄くシンプルに考えたら偉人が50歳で至った考えを、いま20歳くらいの若い人に吸収してもらうのって納得いく方法なんですよね。人は何回も生きられたら偉人が前世の記憶や考えを持ってニューゲームすればいいんだけどそれ無理だから、偉人よりまだまだ時間を持っている人に考えを移植する。まあそれは偉人とその若い人がある程度似た方向性を持ってる方がケンカにならなくていいと思うけど。でもだいたい人って人の考えとか受け入れる余地がないと「うぜえなこのおっさん(おばさん)」てなるから、まあ本書いたりラジオでぼそぼそと言うのがいいかもしれない…とは思わないんだよね。人が異常に進化するためなら、100人に嫌なヤツだと思われても利益があると思う。自分がするかは置いといて…まあショーペンハウエルニーチェも本を出した頃は全然売れなかったとききますね。

 さらに話はとぶと、結局お互いの考えを言い合うってことなら説教、教えを説くってことは双方向のもので、ネガティブな意味の説教とはとらないんじゃないか。要するにおたがいの立場の不公平があって、その立場によって片一方にストレスがうまれる場合に片一方が一方的に言いたい事を言う、そういうときに「説教」がウザいものとして認識される。私もよく年上の人に説教されるんだけど(ふざけてるから)、自分の考えも言うし、相手の話も面白いからネガティブな意味で「説教」だとあまり捉えない。

*1:聴きたい人にはアーカイブを送ります

*2:物理学的な問いも含まれていますが

*3:ジャータカ物語はおもしろいです