紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

作業日誌 : 170621 - 黄金時代 〜 マリオがスターをとったとき

今日のBGM : This time i know it's for real - Donna summer

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 ギリ80'sなんで当然なんだけど出だしのトボケたシンセがファンタジーゾーンみたいでいいですね。私はボーカルない方が好きです。

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 ファンタジーゾーンも良BGMゲームとして知られているみたいですけど、私はアーケードやメガドライブよりもNES版、日本で言うファミコン版の音が好きですね。なんか機材の音がナマでぶちあたってくる感じと、メインの旋律の音色のトボケた感じが。

作業日誌

 あまりうまくいかなかった作品の手入れ。こうして別ものになっていく。出来のよくないものには躊躇なく手を入れることができる。たとえ途中でも出来のいいものは中途半端に大事にしてしまうあまり、そこからものすごくいいものになることはない。作品に対してビビっているといっていい。多くの芸術家の話を聞いているとこの心理はどんな人にもあるらしい。だからこそ新しいことに挑戦すること、怖がらずに手を入れること、すでにあるものを破壊して次へ行こうとすることの価値は変わらずあるのかもしれない。

 あまり大事じゃないものは乱暴に扱えるのでかえってそれと接する時間が長くなりある意味では気に入っているといえる、という状態は日常でもある。大事な服よりもどうでもいい服の方が何度も着ていたり、大事な相手よりも…とこれはよくない表現になるのでやめときましょう。

歳をとって崩れるということ

 抽象的に話すけれど、現在20代で、いつか30代になっても崩れない人を見つけるよりも30代で現に崩れてない人を探すほうが簡単だなと周りを見て思う…べつに40代でも50代でもいい話だけど。

 というのは一般論として、若さというものは全ての難を隠している状態、マリオならスターとって光ってる状態なんで、未来を見定めるのは難しい。その輝きを失ってから判断するほうがわかりやすいということです。それがまあ30代頃からの話なんじゃないかと。年をとって崩れるというのは突発的な、たとえば交通事故にあうとかそーいうことでなくて(ないこともないと思うけど)、傾向としての結果なので、よーするにボーリングの球を投げる瞬間の微妙なズレがのちのちに響いてくるというようなことなので、時間が経たないと見えてこないし、見えてきてから気づいてもそっから簡単に修正が効くというものではないぽい。

 んじゃ自分はどうなのか、崩れないように何かをしているのかと問われると難しい。崩れないために何かをするというのは誤った考え方で、何かをする、何かをちゃんと守るということが結果的に自分を崩さないということに部分的に繋がっているのではないかと思うのだけど…

 いやそもそも崩れないのがいいこととかそういうことでなくて、若さというものは本当にすべての難を隠しているモノなんだなとあらためて感じたということですね。私はよく若い頃に若くて美人の人と会うと素敵だなと思うと同時に「もし自分の目が見えなかったとしてもこの人を好ましく思うだろうか?」と考えたものです。なんか話がズレた気がするな。