紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

雑記:今日があれの最後の日

 あとになって静かな気持ちで思い返してみると、あのときああ言ったのは、ああ振舞ったのは正気な態度じゃなかったなとか思って後悔するのは、誰かと過ごした独特なあと味だな。

 誰かに何かを言ったり何かをしたりするのは、こうやって一人で何かを書いたり何かをしたりするのと違って、いつでも何でも言ったりしたりする機会があるわけじゃない。そのときその人にそのことについて何かを言うのは、マジでその瞬間しかなくて、結局あとになってももう二度とその機会はなかったりする。

 その瞬間はすべて一度きりのものだから、後悔や反省をまったく積まずに他人と過ごしたという時間はほとんどないかもしれない。

 死体に対して丁重に思いやりをもって接するのは、そのときが最後だと知ってるから簡単なことなんだけど、私たちはみんな生きてるから、今日のこともまだまだこれから何度でも起こると思っちゃうんだよな。