紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

作業日誌:170527 - 過去と別の宇宙

今日のBGM : Lack of Afro - Touch My Soul [Freestyle Records]

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 暖かくなってきたので天気のいい日にビールを飲むのにちょうどいいBGMを。

作業日誌

 なし

過去と別の宇宙

 ところで、たとえば今日誰かが死ぬ。たとえではなくとも実際に誰かは死んでいるが…。で、しかし今日死んだのはその誰かであって自分ではない。自分は生きている。べつに自分が死んでいてもおかしくないのだが、自分は生きていて、死んだ誰かは自分じゃなくてほかの人だ。死んだ誰かは今日死ぬのに相応しい人であったというわけでもなく、明日も生きたかもしれないような人でも今日死んだということはありうる。と同時にその役目はいつか自分にもやってくる。

 で、自分に「あのときああしていれば…」という過去の後悔があるとする。そして、あのときああしていた自分というものが別の宇宙にいるとして、そこではあのときああしていた自分が平和に(?)暮らしているとする。すると自分は、ようするにあのときああしていなかった自分の役割の自分というわけで、しょうがない。あのときああしていたのに、あのときああしていなかった人生を歩んでいるならそれは我慢がならないだろうけれど、この自分はあのときああしていないのだからしょうがない。

 今日どこかで自分ではなく誰かが死んでいる、ということと、今日どこかで自分ではなく別の自分があのときああしていたあとの人生を過ごしている、ということは同じことなのだと私は考える。これが自分の役割なのだ、もしくは別の宇宙では自分はもっと幸せに生きていて、また別の宇宙ではもっと惨めに死んでいたりするはずだ、それはあたかも今日死んだ他人のように、と。