「宝くじが当たったら、とりあえず貯金して仕事は続けるけれど、いつでもやめられると思えばだいぶ楽になると思う」というような話はどこででも聞くんだけど、ということは働かなくてもいいくらいのお金があっても働き続けるということで、それだとお金のなさが今の生活の嫌さの基盤となっているわけではないということがわかる。ふと、お金がたくさんあるとなんで幸せになるんだっけ?とかよくわかんなくなった。さしあたり衣食住の問題はないとして…(生活保護という制度も一応あるにはある)。逆か。お金がないとなんで不幸せなんだっけ?
たぶん「一生何もしなくていいという状態じゃないから(何かをしなくちゃならないから)辛い」ということになると思うんだけど、そう考えるにはやらなきゃならんことが嫌だというものが日常的具体的にあるはずで(仕事とか雪かきとか)、でも生きていくためだけにやらなきゃならんことってなかなかなくならないよな。歯磨きとかお風呂に入るとかスーパーに買い物に行くとか。そして、いつか死ぬこととかなにをしてもつまらないこととか誰とも分かり合えないこととか自分が生きている意味も価値もないことはどうしても解決できないじゃない。
最初に戻ると、金が大量に手に入っても明日も今日と同じことをし続けるなら(たとえば仕事とか)金はけっきょく必要ないってことじゃないですか。
飲み物食べ物着てる服、住んでるところやデートにかかるお金のゼロが二つ増えても平気で生活していても、それでなにもかも満足で最高の幸せで一生過ごすということにならないのは目に見えてるし、大金持ちでも夜中にティッシュがなくなったら自分でコンビニまで買いに行かなきゃならないのは変わらない。金で買えるものってあんまり大きく幸せ/不幸せに関係しないんじゃないかと感じるんだけどどうなのでしょうか。
たとえば「一億円払ったらあなたの頭の中にある全ての疑問や考えに対して、他の人類全員が持っている知識や概念やアナロジーを全部統合して参照し明確クリアに考えることができりようになりますし、それを適切に論理的整合性を保ちつつ表現形式によっては芸術的にでもアウトプットする才能を付与します」とかならちょっと考えるけど…
とここまで書いて、ということは私は、人はもうちょっとマシな人間になろうとするということにしか価値や意味がないと思ってるんだな。そしてそれは金では(あんまり)チートできないとも思ってるぽい。なぜならいまの自分が過去よりちょいマシな人間になってるとして、それはかつて数百万円するアホみたいなワインを飲んだからとか、20万円もするスニーカーを履いているからとか、iPadを持ってるとか、MITを卒業したからとかではぜんぜんなくて、過去から今までの日常的で地道なふつうの生活の積み重ねだという実感があるから、今の身の回りのものでやっていくということを受け入れている。
と同時に、自分がちょっとくらい過去からマシに変化していても何の意味も価値もないし、ふつうにまいにちやってることもそれがうまくいっても失敗しても何もしてなくてもマジでなんの幸福もない。私が何をしようが何もしなかろうが、とにかくあるとき宇宙のある一片に勝手に芽生えた意識が一瞬だけ存在してまた消えるだけという事実に唖然としているという側面も同時にある。そしてかだからか、わたしは基本的に何もやる気がない。何かをやる気があれば、そしてそれについてお金がどうしても必要であればお金があったほうがいい。そーいう人のところへお金がいくような社会であって欲しいと思う。
今週の一曲:Polonis & Proc Fiskal - In Da Glen - Grime Instrumentals
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9/24にニューアルバム(『Siren Spine Sysex 』)がHyper Dubから発売となったProc FiskalがPolonisと作った一曲。『Siren Spine Sysex 』ではフォーキーでハイファイな音がメインで、こーいうエレクトロ・ベース・悪っぽい音楽はやってなかった