紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

作業日誌:170526 - 歳をとることと知的な本

今日のBGM : Idol Punch _ HAKONE-RIOT

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 数多ある日本でいちばんカッコいいバンIdol Punch。高校生のときにEPを買ったら6曲入りで9分という内容で笑いました。でも最高の9分間はだらだら続く退屈な一時間よりもよっぽどいいんだということを教わった気がします。この曲はその9分のなかの一曲、ではないですがそれにしてもカッコいい。ポップで笑える。最高です。

作業日誌

 きょうは作業中に考えたことをメモしなかったのでここに書くことはない

歳をとること

 歳をとることというのはよくわからない。それは時間がわからない問題がまず当然のようにあるのと、自分という意識がわからない問題、そして寿命の不明、あとは細かなものがいろいろ原因としては考えられる。とにかく歳をとるということはよくわからないことなのでなにかをアナロジーとして考える。

 今日思ったのは自分を色とすることだ。自分の人格というものが固まるとそこで自分の色が決まるとする。例えば25歳の自分は赤色だと。そこから10年経っても、まあ赤色だった自分が青色や黒色には変わらない。せいぜいちょっと薄くなったり濃くなった、赤である。赤のなかでの変化は多少あるが、としても客観的に見れば赤であることに変わりはない。これが歳をとっても自分だけを観測するとあまり変わらないように感じることのアナロジーだ。

 しかし歳をとるごとに年下の人たちはどんどん増える。彼らは新しい色だ。白であったり黄色であったりする。自分はどれだけ変化してもだいたい赤のなかをうろうろしている。白や黄色にはならない。白や黄色からすれば赤というのはものすごく違う色である。自分が昔とあまり変わった気がしないがしかし古くなっているというのはこのようなことなのではないか。

 同時に赤色の考える40代のイメージと白色の考える40代のイメージはぜんぜん違う。要するに個人ごとに、もしくは世代ごとにある年代のイメージはあるのだがそれらを共有されてはいない。ので年齢というのは客観的には新しい生き物と古い生き物との距離でしか計れないもの、自分自身というものはほとんど変わらないものだという感じがする。

今日の本 : ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫) - リチャード P. ファインマン

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

 知的なよみもの、というものがあるとすれば(ある)これ。私の考える知的なよみものとはそのひとの考え方の道筋を辿れるようなもの、考えるということがどう行われているかをこちらに教えてくれるようなものである。何かを考えるときというのは未知に対する時で、ようするに「知的である」というのは未知に対する態度のことなのだ。岩波のファインマンさんシリーズは沢山出ているのでこの本が気に入ったらシリーズを徐々に買い足して読んでいくといいでしょう。飽きるかもしれないけどハズレはない。