紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

雑記:絵のうまさ

 展覧会や雑誌、ポスターやインターネットなどで絵をちらと見て、デッサンがとれてないとか遠近がおかしいとか奥行きや立体感がないとか思うことがあるんだけど、もちろんこれは気にならない人は気にならないことだ。それと、そのようなことを気にさせない絵というものもあるから絶対的な価値でもない。ただこの世界にはいろんな絵があって、デッサンのとれてなさや立体感のなさみたいな部分がマイナスに映る絵の場合は、マイナスにみられちゃう(もっとよくなる)ということがある。

 あるとき友達と一緒に絵を見ていて、デッサンが気になるとかいうと「なんでそんな細かいとこケチつけるんだ?」という風に友達が言ったので、いい答えがないかと探してたんだけど、これはクオリティとか品質を言っているんだよね。同じ服なら縫製のしっかりしてるほうがいいとか、ボタンを止める糸もほつれてないほうがいいとか。同じ映像ならノイズの少ない方がいい、クリアな方がいいとか。結局それは作品の本質ではなくて、細かいところなんだけど。気になる人は気になってしまう。

 デッサンや遠近でいうと逆にバリバリ写真のトレースした絵とかは機械が織った大量生産ニットみたいに、ミス一つないけど見るとこもないなという感じがする。カメラレンズと人のものの見方ってかなり違っていて、後者が面白いところなのに絵にするためにカメラレンズに「見る」という仕事を委託しているのはもったいないと思う。背景とかモロ写真だな〜とか思う絵は、やっぱりもったいない。

 でもまあインターネットでは、絵を描くのが楽しい!という人の絵がたくさん見れるんで、それはすごくいい。絵なんて何かを正確に描けたりしても、ただ上手くても面白くはないんだよね。

 ところで絵の上手い下手は完全に才能があって、これはどんだけがんばってもひっくり返らない。マジック・タッチのあるバーテンダーのつくるカクテルは誰にも真似できないみたいに、それがある人には絶対にかなわない。私も才能がないのでいろいろ分析してみるんだけど、うまい人はたぶんものの見方とか、頭のなかの映像の鮮明さとか、その絵を手に伝達する繊細さとか、視覚の快楽の的確な把握とか、いろいろあるんでしょう。ただ才能のある人がそれ(この場合は絵を描くこと)をずーっとやり続けるかというとそうでもない。いろいろ眺めていると、絵に関しては下手な人や向いてない人の方が絵をかいてるという感じがする。才能がある人にとってはあまりに長く地道すぎる作業なのだろう。歌うこととは違いますね。(もしくは才能のある人はない人に比べてごく一部だというだけの話かもしれない)

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