紙のラジオ

だから、読者よ、わたし自身がわたしの書物の内容なのだ。きみが、こんなにも取るに足らない、こんなにもむなしい主題のために時間を使うのは分別のない話ではないか。では、さようなら。

雑記:「好奇心」なにかとても大切なもの

 実家の猫はとても臆病で、誰か知らない人が訪ねてくると押し入れやベランダに隠れて出てこない。家の外で工事の音でもすると怖がって落ち着かず、音が止むまで家人にぴったりとくっついている。ベランダには出るのだが、基本的に外で遊ぶということはない。完全な家猫である。

 しかし数日に一度、自分から玄関まであるいていってにゃあにゃあと誰かを呼ぶ。呼ばれてかけつけた人間がドアを開けてやると、猫は慎重にじっくり時間をかけて空気や音を確認しながらおそるおそる一歩ずつ外に出る。少し歩き、座ってじっとして、また少し歩きして、ゆっくり少しずつ外にからだをなじませている。数mも行くとまた座ってじっとして、何かを観察している。その間、物音や人の声がするとぴゃっととんで帰ってきて玄関から家に入る。帰ってくる時の顔はとても真剣である。

 このような活動をもう何年もくり返しているが(そして私はそれを「冒険」と呼んでいるが)、年月を経て成長し遠くへ行けるようになったわけでもない。外部の音に馴れて怖がらなくなったわけでもない。ただおそるおそる外へ出て、恐くなったら帰ってくることの繰り返し。だけれど数日すると、猫はまた自分から玄関へ行って人を呼ぶ。

 猫が何かを恐がるということは、この世界に対する未知の多さから(たぶん)人間が怖がることよりも強いことだと私は思う。でも猫はまた玄関からちょっとだけ外へ出てみる。ドアを開けてやるときに私は「頑張っておいで」と言う。たぶん猫は家から数mそとを歩くことをいつもがんばっていて、止めていないのだと私は思っている。

 開けっ放しのドアを背で押さえて(閉めると猫がパニックになる)、猫が外をゆっくり歩いたりじっと座ってなにかを観察しているのを見ていると、私はいつも「好奇心」という言葉を思う。猫は5mもドアから離れないし、5分でも外に出ているということはないが、何かにびっくりしてすたこらと走って帰ってきた猫に私はいつも「よく頑張ったな」と言う。たぶん猫の世界に「頑張る」という言葉はないが「好奇心」はあると私は思う。もしくは、この世界に「好奇心」と呼べる何か純粋なものがあるとすれば、私はそれを実家の猫に見ている。

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